『クルマが先か ? ヒコーキが先か ? 』 岡部いさく

クルマが先か ?  ヒコーキが先か ? 『クルマが先か ? ヒコーキが先か ? 』岡部いさく(二玄社)、読了。

飛行機用のレシプロエンジンに興味をもったものの飛行機のことをなにも知らないので、手始めにこの本から読んでみた。

基本的には紹介本で考察本ではないのだけれど、今回の私の目的にはそれでじゅうぶんで、それなりに楽しんで読めた。

京都 11R 石清水ステークス

前走で 2000m 重賞を先行して活性化させた 8 フレイムコードが本命。鞍上には理解力か思考放棄が要求される場面なので知らない騎手なのは不安も、人気もなくて。

単勝 8   1 万円

  1. 1 着  11 ハナノシンノスケ  10 番人気
  2. 2 着  2 トーセンソレイユ  2 番人気
  3. 5 着  8 フレイムコード  9 番人気

不的中

1600m → 2000m → 1600m のバウンド式短縮の人気薄の先行馬を先団の後ろで折り合わせて、直線で差し込んできての 5 着。藤懸騎手、自分で上手く乗れたと思ってるだろうし実際に悪くない競馬なんだけど、今回は勝ちたいのなら他の選択が必要なケースで。

今回の予想で「バウンド式短縮」とか「位置取りショック」とか書かなかったのは、この馬のこの臨戦過程で 1 着狙いなら今回も早目先頭しかないと考えていたから。下りで引っ張ってるのを見て馬券は諦めた。直線の伸びを見ても、あそこで行かせてたら勝ってたと思うんやけどね。ここのところ凄く状態いいし。

まあでも、あそこで行かせて直線タレたら立場ないわけで、若手騎手がそんな競馬はできんのも理解できる。だから「鞍上には理解力か思考放棄が要求される場面」と書いておいたわけで。思考放棄に期待してみたんやけど、普通に好騎乗でした。そういう意味で騎乗にも馬券にも不満はない。が、長文なのはなぜ。 (2015-01-25-16:40)

中山 10R 若潮賞

前走で疲労・ストレスを抜いた 3 サクラダムールが本命。すこし間隔を空けての内枠は合う馬で。

単勝 3   1 万円

  1. 1 着  7 モーリス  1 番人気
  2. 2 着  5 サクラダムール  3 番人気

不的中

休み明けで単勝 1 倍台の馬が圧勝。休み明けの馬は検討すらせずに切ることにしてるので、この馬券はこれでよし。 (2015-01-25-16:05)

ベルグソン全集 1   <<新装復刊>> 時間と自由 アリストテレスの場所論』

ベルグソン全集 1   <<新装復刊>>  時間と自由 アリストテレスの場所論ベルグソン全集 1   <<新装復刊>> 時間と自由 アリストテレスの場所論』平井啓之・村治能就・広川洋一 訳(白水社)、読了。

『純粋理性批判』と『実践理性批判』を読んだあとでカントとはまるっきり異質の哲学者の本が読みたくなってベルクソンを手に取ってみたのだけれど、偶然にも「時間と自由」は『批判』の批判のような論文だった。

本来は持続として捉えるべき時間をカントは空間と同じように等質で並置可能なものと見なす誤りを犯したのだとベルクソンはいう。ベルクソンによると、世人は時間を考えるときに空間の観念によって考えているのであって、真の持続を考えているのではない。

 私が時計の文字盤の上に振子の振動に呼応する指針の動きを目で追うとき、世人がそう信じているらしくみえるように、私は持続を計測しているのではない。私は同時性を数えるにとどまるのであって、これははっきりと別のことなのだ。( 103 頁)

振子の例にとられたような時間――空間と同様に等質の環境である時間――においては、すべての自由は了解できないものとなるだろうとベルクソンはいう。そして、自由を物自体の世界においたカントを批判する。

  (…) カントはむしろ自由を時間の外に位置させて、われわれの悟性に全面的に委ねられた現象の世界と、立入り禁止の物自体の世界とのあいだに、越え難い垣をきづくことを好んだのである。
 しかしおそらくこのような区別はあまりに割り切りすぎているし、この垣も人が考えるよりも越えやすいものなのだ。なぜなら、もしも偶然に、現実の持続の諸瞬間が、注意深い意識の知覚するところとなって、並置されるかわりに相互に浸透し合い、また、これらの瞬間がお互い同士で異質性を形成し、その異質性の中では必然的決定の観念などはどんな種類の意味ももたなくなるようなことになれば、そのときには、意識によって把握された自我は自由原因となるであろうし、われわれは自分自身を絶対的に認識することにもなるだろう。( 214 頁)

しかしこの「垣」の越えかたがもしあるとしても、それをベルクソンがこの本で明確にしてくれたとは思えない。なにかあいまいでイメージに頼った語りなのだ。あいかわらず original な思想家だと思うのだが、今回のこの本でも一抹のいかがわしさを感じずにはいられなかった。

京都 11R 日経新春杯

休み明けから 0.9 秒差→ 0.3 秒差と、差し馬として良いリズムを刻んできている 11 ビービートレイターが本命。 2200m → 2000m → 2400m のバウンド式延長でもあって。もちろん、ダート経験の位置もちょうどよい。

単勝 11   1 万円

  1. 1 着  4 アドマイヤデウス  6 番人気
  2. 2 着  5 フーラブライド  10 番人気
  3. 9 着  11 ビービートレイター  9 番人気

不的中

惜しいところもなく完全にハズしたけれども反省が必要なわけでもないという馬券で、何も思うところがなくて。 (2015-01-18-16:15)

京都 11R シンザン記念

ダート→芝の 6 クイーンズターフが本命。

単勝 6   1 万円

  1. 1 着  9 グァンチャーレ  2 番人気
  2. 2 着  11 ロードフェリーチェ 9 番人気
  3. 8 着  6 クイーンズターフ  5 番人気

不的中

結果も悪かったけれども、それに関係なくこの馬券は反省しないと。見え見えのブレイクに跳びついてダマシ喰らってるような下手くそな馬券。本命馬は芝経験もなく前走も接戦勝ちと、 “M” 的に買うべき条件をまったく満たしていない。結果として勝たれても個人的には見送らないといけない。そう考えて買わないつもりだったのに、ついつい付け足してしまった。甘すぎる。こういう馬券を排除していくことが今年のテーマ。次回以降で修正すべくルールを見なおす。 (2015-01-11-17:05)

中山 12R 4歳以上 1000 万下

1200m → 1800m → 1200m のバウンド式短縮 + 差し→逃げ→差しの位置取りのダブルショックの 15 シニョリーナが本命。

単勝 15   1 万円

  1. 1 着  12 インスペード  1 番人気
  2. 2 着  13 プロスペラスマム 14 番人気
  3. 7 着  15 シニョリーナ  7 番人気

不的中

本命馬の前走が 0.3 秒差 5 着。 1200m → 1800m の距離延長と差し→逃げの位置取りのダブルショックで楽に走って好走した部類ではなかったか。とすると今回は苦→楽という “M” の基本の狙いパターンからは外れることになる。ということは考えたけれども、予想に書いた強調材料から買ってみた。これはルール違反ではないものの、 1 番人気が切れるわけではなかったという点で現在の自分のルールを破った馬券。もし本命馬のショックが嵌まった場合は 1 番人気馬が力どおり走っても勝ち切れると考えての馬券だったけれども、ルール違反はルール違反。今日 3 レース買って、そのうちの 2 レースでルールを破っているようではどうしようもない。次に馬券を買う前に、ルール破りに対する罰則をルール化しておく。 (2015-01-11-17:10)

中山 10R 初咲賞

1600m → 2000m → 1800m のバウンド式短縮の 3 シュンドルボンが本命。集中力ある馬で内枠も合う。騎手が馬込みの中で競馬させれば。

単勝 3   1 万円

  1. 1 着  6 オメガキングティー  9 番人気
  2. 2 着  3 シュンドルボン 5 番人気

不的中

臨戦過程の意味を理解して馬群の内でのレース。理解力のある騎手。完璧に乗ってくれたものの休み明けの人気薄に走られて。馬券的には完敗。ただ、前走より楽に走れる馬が 5 倍以上の配当で 1 番人気馬が切れるレースということで、自分の馬券としては問題なし。 (2015-01-11-16:55)

『スーパーカー誕生』 沢村慎太朗

スーパーカー誕生『スーパーカー誕生』沢村慎太朗(文踊社)、読了。

著者はスーパーカーを高性能でミドシップの市販車だと端的に規定する。その上で、そのカテゴリーにおける代表的な車について、黎明期から順を追って考察していく。

当然ながら各車にはそれぞれ設計上の特徴がある。自動車設計において、特徴とはつまり目的か制約――あるいはしばしばその両方――の結果であるはずだ。たとえば、ランボルギーニ・ミウラがその V12 エンジンを縦ではなく横に置いているのは、居住空間の確保という制約の結果なのだと著者は説く。
こういった考察だけでも興味ぶかいのだが、著者はなんと開発主任のジャンパオロ・ダラーラにインタビューして裏を取っている。その上で、居住空間の確保というこの制約が生んだミウラのネガが考察されていく。

そんなふうにして 30 台以上の車が語られる。丹念に熱意をこめて書かれていて楽しんで読めた。スーパーカーやスポーツカーに興味を持っている人なら読んで損はないと思う。ただ、車にとくには興味を持っていない人にまで読ませる力という面では、残念ながら不足を感じてしまった。小林秀雄は文学に興味がない人間が読んでもたぶん面白い。

『カント全集 7 』

カント全集 7 『カント全集 7 』坂部恵・平田俊博・伊古田理 訳(岩波書店)、読了。

『人倫の形而上学の基礎づけ』と『実践理性批判』の巻。『純粋理性批判』において、カントは、我々にとって自由というものが存在するならばそういう仕方でしかありえないという在り方を蓋然的に定立した。『実践理性批判』においては、カントは自由を実践的に必当然的なものとして提示する。

しかしこれが、とてつもなくむつかしい。難解というのではない。『純粋理性批判』と同じくカントの文章は理路整然としていて、納得しつつ読みすすめることができる。しかし、この本は頭で理解してもどうにもならない。

 この法則は、感性的自然としての感性界に、(理性的〔存在〕者にかんして)知性界すなわち超感性的自然〔本性〕の形式を与えるが、とはいえこの感性界のメカニズムを断ち切ることはない。ところでもっとも一般的な意味での自然〔本性〕とは、物の現存ありかたが法則のもとにあることである。理性的〔存在〕者一般の感性的自然とは、その〔存在〕者の現存が経験的に制約された法則のもとにあるこの〔存在〕者の存在であり、したがって理性にとっては他律である。この同一の理性的〔存在〕者の超感性的自然〔本性〕は、これに反して、それが現存するにあたって一切の経験的制約から独立な、したがって純粋理性の自律に属する法則にしたがっていることである。そして事物の現存を認識にしたがわせるにあたっての法則は、実践的であるから、われわれが概念化できるかぎりの超感性的自然〔本性〕と、純粋実践理性の自律のもとにある自然〔本性〕にほかならない。この自律の法則は、ところで、道徳法則である。 (…) ( 184 頁)

この「道徳法則」。これを理解したのなら、これに従って生きているはずだ。むつかしい。

ブルーバックス  B-79 相対性理論 はじめて学ぶ人のために』 ジェームズ・ A ・コールマン

ブルーバックス  B-79  相対性理論 はじめて学ぶ人のためにブルーバックス  B-79 相対性理論 はじめて学ぶ人のためにジェームズ・ A ・コールマン 著 中村誠太郎 訳(講談社ブルーバックス)、読了。

平易な文章で初学者にも理解できることだけを書いてくれているので、私にも楽しく読めた。相対性理論について次の一冊を読んでみようと思わせてくれる本だった。

『フランス史 ――― II 中世 (下)』 ミシュレ

フランス史 ―――  II  中世 (下)『フランス史 ――― II 中世 (下)ミシュレ 著 立川孝一・真野倫平 責任編集(藤原書店)、読了。

訳註によると、オルレアン公の死を巡る記述には、一八三九年に死んだミシュレの妻ポーリーヌの思い出が重なっているという。 7 月に亡くなり埋葬された妻の棺を、ミシュレは 9 月に掘り起こさせ亡骸を凝視したというのだ。そんな歴史家はこれから先そうは現れないだろうし、こんな歴史書が書かれることもそうはないだろう。

 一人一人の人間は人類であり、世界史である……。だがそれだけではなく、無限の普遍性を担っているこの存在は、同時に特別な個人、ひとつの人格、たった一人のかけがえのない存在なのだ。前にも後にも同じものなどない。 (…) ( 194 頁)

『やってのける 意志力を使わずに自分を動かす』 ハイディ・グラント・ハルバーソン

やってのける 意志力を使わずに自分を動かす『やってのける 意志力を使わずに自分を動かすハイディ・グラント・ハルバーソン 著 児島修 訳(大和書房)、読了。

日本語の副題にある「意志力」は部分的なテーマでしかなく、 “How We Can Reach Our Goals” という原書版のサブタイトルどおりの、目標達成についての本だった。トレーダーとしての私には、参考になるところはほとんどなかった。

『真相 マイク・タイソン自伝

真相 マイク・タイソン自伝『真相 マイク・タイソン自伝ジョー小泉 監訳 棚橋志行 訳(ダイヤモンド社)、読了。

650 ページほどのこの本でボクサーとして上昇していく姿が描かれているのは 150 ページくらいまででしかない。カス・ダマトが亡くなり世界チャンピオンになったそのあたりからは、セックスとアルコールと浪費と暴力の話がほとんどになる。さらに、刑務所を出てからはそこにマリファナとコカインが加わる。

あれほどのボクサーがどうしてそんなことになってしまったのか。あまりにも残念だ。なんてことはこの本を読んでいるとほとんど考えない。次のような文章を読むと、惜しむというような感情は肩すかしを食ってしまう。

 だから歩行トレーニングにマリファナとアルコールを組み込んだ。ハイな状態で四十度近い暑さの中を歩いていると、躁鬱病的な性質が顕著になる。酒とマリファナと暑さは相性がよくない。 (…) 一人、サインをもらいに寄ってきたやつがいたが、ボカッとぶん殴ってやった。( 194 頁)

無茶苦茶やがな。こんな話が他にもたんまりと出てくる。ちょっと道を踏み外したとかそういう問題ではないんだろう。それどころか、マイク・タイソンという人格がマイク・タイソンという人生の道のド真ん中を歩いた結果が彼の今までの人生だったのではないのか。そういうことを言うならもちろん誰の人生だってそうなんだろうけれども、それでもやっぱり彼ほど真っ向から堕ち切ってしかも立ち直りつつある男なんてなかなかいないだろう。私にとっては未だにヒーローだ。

『大岡昇平全集 9 』

大岡昇平全集  9 『大岡昇平全集 9 』(筑摩書房)、読了。

『レイテ戦記』の上巻。戦略面から個別の戦闘にいたるまで細密に描かれている。腹の底に重いものを入れられたような感覚のなかで読んでいた。

 敵が上陸を始めた時、初年兵たちは、不意に銃を捨てろと命令されて驚いた。帯剣もはずし、ガソリンを詰めたビール瓶(ずんぐりした形の四分の一リットル瓶である)を一つ右手に持ったままの軽装で、戦車に肉薄攻撃せよというのである。 (…) ( 86 頁)

この装備(とすらいえないものだが)で戦車にむかっていくというは、その兵士にとって正真正銘の「決死」の行動のはずだ。徴兵された身でありながらそんな「決死」の行動をとった兵士が、たくさん出てくる。卑怯な行動もある。そして、受け手によってそのどちらに評価するかわかれるような行動も。

白旗を掲げておいて近寄ってきたアメリカ兵を射つという行動を、太平洋戦線の日本兵はしばしばおこなったらしい。

  (…) しかし白旗は戦闘放棄の意思表示であり、これは戦争以前の問題である。この稜線を守っていたのは、主として病兵より成るタクロバン支隊であった。こうでもしなければ反撃の機会が得られない状態に追いつめられた病兵の心事を想えば胸がつまる。射ったところでどうせ生きる見込みはない。殺されるまでも一矢を報いようとする闘志は尊重すべきである。しかしどんな事態になっても、人間にはしてはならないことがなければならない。( 123 頁)

重い気持ちで今もいろいろと考えている。

京都 11R スワンステークス

京都 11R スワンステークス

休み明けを除くと、前走からの距離延長馬が 6 頭で距離短縮馬は 4 頭。素直に短縮馬を狙っておく。

4 タガノブルグが本命。 1600m → 1400m の短縮ショックで、逃げ→差しの位置取りショックも。キツイ馬なので特殊馬場は合う。切れてしまっているかどうか、そこは賭けで。

単勝 4   1 万円

  1. 1 着  11 ミッキーアイル  1 番人気
  2. 2 着  12 サンライズメジャー 4 番人気
  3. 12 着  4 タガノブルグ  8 番人気

不的中

このショックでも無反応で 2 桁着順。もう切れてたようで、この賭けははずれ。 (2014-11-01-17:15)

『神聖喜劇 第三巻

『神聖喜劇 第三巻』大西巨人(光文社)、読了。

一般社会と異なることのない重層的な差別が、軍隊においても隠然として存在している。

京都 11R 菊花賞

2 トーホウジャッカルが本命。集中力高い C+S で G1 の内枠は合う。前走は直線で不利があったのでストレス少ない。 2 走前まで条件戦で今走が G1 初挑戦と鮮度ある。 5 走前という、ちょうど良い位置でのダート経験。

“M” 的な条件が揃いすぎていて、逆に不安を感じてしまうくらい。罠ちゃうんっていう。不安点は母父の系統くらい ? でもまあここは素直に。 100 万とかは買わないけれど、 1 万ってこともなく。ハギノハイブリッドとの馬連もまじないに買っとく。適性とかでこっちと迷ったりもしたけれども、今はタイプとリズムで予想してるので。

単勝 2   1 万円

  1. 1 着  2 トーホウジャッカル  3 番人気
  2. 2 着  4 サウンズオブアース 4 番人気

単勝 2 番 6.9 倍・的中

結果としては “M” という手法の教科書どおりに決まったレース。いつも教科書どおりに決まるわけではないけれども、その手法のドストライクの球が来るときもある。そういう球を打ててよかった。

予想の途中で亀谷氏的な血統要素が気になって、それでもなんとか自分に必要な要素だけに絞って結論を出した。結果はべつとしてもこれでええ。自分に不必要な材料の切り捨て。相場で身に付けたものが活きとる。素直にじんわりとうれしい。スペシャルウィークの仔やしね。 (2014-10-27-11:00)

『ダービースタリオン DS 』

ダービースタリオン DS 『ダービースタリオン DS 』(エンターブレイン)。

世評と同じような不満は私も抱いているものの、それでも発売からずっと、晩酌の友として週に 4 日はプレイしている。プレイつってもおまかせで勝手に走らせているだけだけれど。本を読みながら酒を飲んで、たまに DS の画面に目をやる。するとそこで勝手に競馬が行われている。興奮とかはないのだけれども、しみじみと楽しい。ウイニングポストとちがって目的と物語性を排除しているから終わりがなく飽きもこない。

そんなふうにして 6 年以上つき合ってきたこのゲームだけれど、 3DS で新作が出るので、とうとうお別れになりそうだ。こんどの新作では騎手がアホすぎるといった不満点はできるだけ解消されていてほしい。

『フランス史 ――― I 中世 (上)』 ミシュレ

フランス史 ―――  I  中世 (上)『フランス史 ――― I 中世 (上)ミシュレ 著 立川孝一・真野倫平 責任編集(藤原書店)、読了。

抄訳なのは残念なのだけれども、それもまた歴史という気にさせてくれる本だった。

 つまり、時の進展の中で、歴史家によって歴史が作られる以上に、歴史が歴史家を作るということなのである。私の本が私を作った。私こそ歴史が作り上げたものだった。 (…) ( 184 頁)

新装オールカラービジュアル版 ヨーガ 本質と実践』 ルーシー・リデル

新装オールカラービジュアル版 ヨーガ 本質と実践新装オールカラービジュアル版 ヨーガ 本質と実践』ルーシー・リデル 著 竹田悦子 訳(産調出版)、読了。

DS のヨガをやっていてヨガに興味を持ったので買った。シヴァナンダ・ヨーガという流派のようだ。

それから 2 年弱、 1 時間ほどのメニューを週 5 くらいのペースでやっている。 1 週間ほどで頭立ちができるようになり、固い身体にもすこしずつ柔軟性が出てきた。妻と子どもにはキモがられている。

『マルクス = エンゲルス全集 第 8 巻』

マルクス = エンゲルス全集 第 8 巻『マルクス = エンゲルス全集 第 8 巻』大内兵衛・細川嘉六 監訳(大月書店)、読了。

(…) 国民の総意は、普通選挙権をつうじて語るたびに、大衆の利益の年来の敵たちのうちに自分の適切な表現を求め、ついには一冒険者の我意をそうした表現と見なすにいたる。( 130 頁)

現在の日本の政治情況について考えるうえで『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』はたいそう有益だった。代表制の問題についてのマルクスの構造的な把握力のおかげで、目に見える表層のなかで自分が注意しておくべきものを再確認できた。また、エンゲルスの揶揄・罵倒の才能を知ったのも、予期せぬ楽しみだった。

(…) かんじんなことは、 (…) ルーゲがなににでも効くあの不思議な文体ソースを任意のテーマにかけているということである。ルーゲは好んでこの日常の文体的下痢を「通じをつける美しい形態」と名づけ、そこに「芸術家」〔Artist〕と自称する十分な根拠を認めたのである。( 269 頁)

『カント全集 6 』

カント全集 6 『カント全集 6 』有福孝岳 久呉高之 訳(岩波書店)、読了。

『純粋理性批判』の下巻と『プロレゴーメナ』が収録された巻。『プロレゴーメナ』は私にとってはじめての通読だった。『プロレゴーメナ』は『純粋理性批判』を読んだことがなくこれからも読むつもりがない人間には害になる書物だ。『純粋理性批判』を読んだ私にとっても益はほとんどなかった。

ところで、トレーダーが「上達」するために必要なのは、次の引用での語法だと、「開発」ではなく「訓練」だろう。

  (…) ある種の規則から逸脱する不断の性癖がそれによって制限され最後には根絶やしにされる強制訓練と呼ばれる。訓練は開発とは異なっている。開発は、訓練とは反対に、他のすでに存在する技量を廃棄することもなく、単に技量を付与するはずである。 (…) ( 11 頁)

『君主論』 マキアヴェッリ

君主論『君主論』マキアヴェッリ 著 河島英昭 訳(岩波文庫)、読了。

  (…) このほかに、さらに大きな事業に取りかかるため、一貫して宗教を利用し、敬虔な残虐行為を実践して、自分の王国のなかからマッラーニたちを追放し、かつ財産を奪った。これ以上に悲惨で、稀有な例はない。 (…) ( 164 頁)

スペイン王フェルディナンドについてのこの描写には、マキャベリの考えかたが現れているようで、私はしびれさせられた。訳文もまた素晴らしい。

と感じていたのだけれども、リンクを貼るために amazon でこの本のページを見てみたら、非難轟轟だった。マキャベリの思考の跡をたどれる読みやすい翻訳だという門外漢としての感想は変わらないのだが、つぎに『君主論』を読むときには別訳を選んでみるつもりではある。

『スタンフォードの自分を変える教室』 ケリー・マクゴニガル

スタンフォードの自分を変える教室『スタンフォードの自分を変える教室』ケリー・マクゴニガル 著 神崎朗子 訳(早川書房)、読了。

The Willpower Instinct という原題どおり、意志力についての本だ。

意志力は、トレーダーとしての成績に、最終的な影響をおよぼす。どんなにすぐれたシステムを使っていても、チャートリーディングにおいてどれだけ上達していても、意志力に問題を抱えていては成功はおぼつかない。

といっても、「意志の力」で欲求や欲望や衝動ををねじ伏せようとするような姿勢は、かえって逆効果だ。意志の力というのは、そんなに強いものではない。たとえば、この本のなかで紹介されている研究結果につぎのようなものがある。

2 つのおやつをすぐにもらうのと、 2 分待ってから 6 つのおやつをもらうのとではどちらがいいか選ばせることによって、人間とチンパンジーの自制心を比較するという実験だ。

 チンパンジーも人間も、待つ必要がなければ 2 つより 6 つもらうほうがいいに決まっていますが、待たなければならない場合には、チンパンジーと人間ではその選択に大きなちがいが表れました。チンパンジーはおやつをよけいにもらおうとして、なんと 72 パーセントが待ちました。いっぽう、ハーバード大学とマックス・プランク研究所の学生は、 19 パーセントしか待てなかったのです。( 234 頁)

あなたのも私のも、人間の自制心なんてこんなものだ。トレードになんてまったく向いていない。

そんな欠陥だらけの意志力しか持っていないからこそ、どんな場面で衝動に負けやすいのかを知り、あらかじめ対策をたてておかなければならない。そんな認識と対策のためのヒントをたくさん与えてくれる本だ。「欲求の波を乗り越える」というテクニックは、トレードでも役に立つだろう。

『キルケゴール著作集 18 』

キルケゴール著作集 18 『キルケゴール著作集 18 』田淵義三郎・久山康 訳(白水社)、読了。

(…) 誤解は用心しなければならない、という意味は誤解をすっかり防ぎ止めよういう考えに気をつけなければいけないということなのだ。 (…) どうすれば誤解が防げるかということにのみ汲汲として他を顧みる暇のない人間がかりにあったとする。――多分彼は最もひどく誤解されるのが落ちであろう。( 151 頁)

「わが著作活動の視点」は、キルケゴールの著作をあるていど以上に読んだあとで繙くほうがよい。種明かしを先に知ってしまうのはもったいない。キルケゴールほどに同時性を要求する著作家はめずらしいのだから。

『成功する子 失敗する子 何が「その後の人生」を決めるのか』 ポール・タフ

成功する子 失敗する子 何が「その後の人生」を決めるのか『成功する子 失敗する子 何が「その後の人生」を決めるのかポール・タフ 著 高山真由美 訳(英治出版)、読了。

貧困層の子供の学力向上に取り組む人たち――教育者や心理学者や小児科医や経済学者など――と、彼らの助けを受けつつ劣悪な環境で前向きに努力している貧困層の子供、彼らへの取材を通じて「成功」するための資質にたいして考察した本だ。

「知能」ではなく非認知的な要素――たとえば好奇心、自制心、社会性といったもの――こそが成功するために重要なのだという近年の主流意見と、著者も見解を同じくしている。たぶんそうなのだろうと私も考える。ではどうすればそういう能力を伸ばしていけるのか。神経科学や心理学の研究結果や先端的な教育施設の活動を紹介しながら、著者はその答えを探っていく。わが子を「成功」させるという観点からではなく、「貧困」層の教育向上という観点から著者は問題をみていて、さまざま点で私は啓発された。

ところで、トレーダーという自分自身の職業にかかわる面でも、ふだんの自分の考えの正しさをこの本で確認することができて、私は意を強くした。

  (…) なぜルールが機能するかについては神経生物学上の理由がある。ケスラーによれば、ルールをつくると前頭前皮質を味方につけることができる。つまり、本能に突き動かされて反射的に働く脳の部位に対抗できる。ルールは意志力とおなじものではない、とケスラーは指摘する。ルールはメタ認知を利用した意志力の代用品である。 (…) ルールはやがて欲求とおなじくらい反射的に働くようになる。( 151 頁)

「精神力で」とか「意志の力で」とか吐かしている阿呆たちは、勝てるトレーダーには永遠になれない。

私は小学生の息子の成績はほとんど気にしないが、息子が習慣を力にすることに関してはかなり気にしている。気にしているだけで、じっさいの教育は妻にまかせっぱなしなのだけれども。「親があっても子は育つ。」

『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』 増田俊也

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也(新潮社)、読了。

 乱暴であるのを承知でいえば、木村は力道山を殺すべきではなかったのか。たとえどんな犠牲を払ってでも。( 26 頁)

木村政彦という柔道家の無双の強さと人間的な魅力、そして後半生の苦しみが痛いほどに伝わってくる本だった。終盤は、胸が張り裂けそうな思いとともに読みすすんだ。やるせない。

 戦中は不敗の柔道王として、やはり連勝を重ねていた双葉山とともに皇軍進撃の宣揚に利用され、また師匠牛島辰熊の東条英機暗殺に使われそうになるなど、常に思想を持った側に利用されてきた木村は、戦争が終わったこのときになっても “時差” をもって戦争の続くブラジルで利用されることになるのだ。もっとも、本人は思想もなく生きているので、利用されていることには気づいていない。( 345 頁)

ところで、『空手バカ一代』や『男の星座』などでしめされる梶原一騎のあの虚を実と混ぜ合わせて差し出す語りについて、この本で著者はやや否定的に言及している。しかし、この本の語りもまた、ところどころで梶原のそれと似ていってしまう。虚をなくし実で満たすだけでは梶原の語り方は超えられないのではないか。「真実」の分量がちがうだけで、真実への態度はおなじだから。というようなことも考えてしまった。

東京 10R 東京優駿

ずっと言ってきたように、 18 ワールドインパクトが本命。大外は厳しいけれど、いまさら替えない。すでに単勝をポチポチと買っていってる。出走メンバー屈指の加速力と最高のトップスピード。この馬がいちばんダービーに向いていて。

単勝 18   1 万円

  1. 1 着  2 ワンアンドオンリー  3 番人気
  2. 2 着  13 イスラボニータ 1 番人気
  3. 10 着  18 ワールドインパクト  8 番人気

不的中

馬券に復帰して以降では一番たくさん馬券を買ってた。いまは軽い虚無感。あとで落ち込むんかな。まあでも、自分はこういう勝負が好きなことをあらためて認識した。馬券に復帰したときは、もっと坦々とした馬券をやるつもりやったんやけど。

安田記念と宝塚記念はあまりひかれてないんで、秋にまた買いたくなる馬やレースがあったら今回のように振ります。 (2014-06-01-16:45)

『カント全集 5 』

カント全集 5 『カント全集 5 』有福孝岳 訳(岩波書店)、読了。

 それゆえ、私は次のように言う。全体が経験的直観において与えられていた場合には、その内的諸制約の系列における背進は無限に進む、と。しかし、絶対的総体性への背進がそこから最初に進行すべき系列の一項のみが与えられている場合には、逆進は無規定的仕方において (in indefinitum) のみ行われる。 (…) ( 216 頁)

「無限背進 (regressus in infinitum) 」と「不定背進 (regressus in indefinitum) 」。私たちには、世界の全体が経験的に与えられることは、けっしてない。だから私たちは、制約されたものとしての各現象からその制約である別の現象へと背進し、さらにその現象の制約である別の現象へと…というように、無規定的に背進しなければならない。

 なぜなら、生起するものはすべて原因をもたねばならない、したがってそれ自身生起したあるいは生成した原因の原因性もまた再び原因をもたねばならない。 (…) ( 217 頁)

結果から原因へ、さらにその原因へ…、という無規定的な背進が私たちに課される。現象における諸原因のもとには、一つの系列を端的にそして自ら始めることも、そのように行う何ものかを想定することも、私たちには許されていない。これは理論的かつ倫理的な態度だ。

 この悟性の法則から逸脱すること、あるいは何らかの現象をそこから除外することは、いかなる口実のもとにおいても許されない。 (…)
  (…) ( 240 頁)

しかし、生起するすべてが制約されているのだとしたら、自由と責任はどこにその場所を見出すのか。この重要な問いにもまた、カントは理論的・倫理的に答える。私たちの経験する諸現象はあくまで私たちの感官に与えられたものなのであり、物自体ではない。超越論的感性論の結論から、時間と空間は私たちの感性の形式的制約なのであり、物自体のそれではない。したがって、物自体は時間的規定の法則には従属しない。

  (…) したがって、理性は諸現象を諸自然法則に従って必然的にする感性的諸制約の系列にはまったく属さないということである。理性は、すべての時間状態において人間のすべての行為に現前しており、同一であるが、しかしそれ自身は時間のうちにはなく、また理性がいわば以前にはそこになかったような新しい状態に陥るということもない。理性は新しい状態に関して規定するものではあるが、規定されうるものではない (…) ( 250 頁)

理性のこのような解明によってカントは自由を救ったが、しかしこれは、あくまでも超越論的にであって超越的にではない。超越的に自由を取り扱うことも、カントは固く禁じている。まったくもってすごい書物だ。最上至極宇宙第一書。