
04/30 fri
風邪ぎみ。
のどが痛い。
はらも痛い。
「ラブリー」小沢健二
『ツァラトゥストラ 上
(ニーチェ全集 9 )』吉沢伝三郎訳(ちくま学芸文庫)。
市場でのみ、「肯定か ? それとも否定か ? 」という問いに襲われるのだ。( 95 頁)
ここでいう「いちば」とは、すでに等価形態におおわれた場所のことだろう。
ビール 2 リットルと睡眠薬とかぜ薬。
04/29 thu
『ツァラトゥストラ 上
(ニーチェ全集 9 )』吉沢伝三郎訳(ちくま学芸文庫)。
「まず虚構されるのでなければ、決して曝露されないであろうような魂が、少なくない。」( 77 頁)
真実とその発露という考えじたいが虚構だ。
ビール 2 リットルと睡眠薬。
04/28 wed
露天風呂。
朝飯。
食べすぎ。
露天風呂。
くるりとアジカンのボーカルが似ているという新 ! 発見を聞かされながらドライブ。
ていうか、きみ、このサイトの文章を読んでないでしょ ?
『ツァラトゥストラ 上
(ニーチェ全集 9 )』吉沢伝三郎訳(ちくま学芸文庫)。
いまや彼は、つねに自分を一つの行為の行為者と見なすようになった。わたしはそれを狂気と呼ぶ。彼の例外が転じて彼の本質となったのだ。( 69 頁)
これはしかし、すべての行為者につきまとう狂気だ。
ビール 1 リットルと睡眠薬。
04/27 tue
『カント全集 4 』有福孝岳訳(岩波書店)所収「純粋理性批判(上)」。
すべての表象は、表象として自らの対象をもち、それ自身またしても他の表象でありうる。諸現象は、われわれに直接に与えられうる唯一の対象であり、諸現象において直接に対象に関係づけられるものは直観と呼ばれる。ところがしかし、これらの現象は諸物自体そのものではなくて、それら自身またしても自らの対象をもつ諸表象にすぎない。だから、この対象は、われわれにはもはや直観されることができず、だから、非経験的すなわち超越論的対象 = X と呼ばれるであろう。( 186 頁)
これが、対象一般に対するわれわれ概念の規定である。
ホテルへ。
温泉に入って、郷土料理を食して、飲んで、飲んで、そのまま眠る。
04/26 mon
『カント全集 4 』有福孝岳訳(岩波書店)所収「純粋理性批判(上)」。
おのおのの直観は多様を自らのうちに含むが、もし心性が時間を諸印象の相互継起において区別しないとすれば、その多様は多様としては表象されないであろう。( 179 頁)
したがって、多様を統一する心的作用が必要とされる。
さて、こうした多様から直観の統一が生ずるためには(たとえば空間の表象におけるように)、まず多様性を通覧すること〔通観作用〕、それから、その通覧〔通観〕を総括することが必要である。この働きを私は把捉の総合と呼ぶ。( 179 頁)
この把捉の総合が感性の根源的受容性に対してもおこなわれるがゆえに、われわれは空間と時間の表象をもつことができる。
『ツァラトゥストラ 上
(ニーチェ全集 9 )』吉沢伝三郎訳(ちくま学芸文庫)。
こんなふうに語り、また口ごもれ。( 65 頁)
語りつつ口ごもる。
ニーチェの戦略。
ビール 1.5 リットルと睡眠薬。
04/25 sun
午前 3 時に目が覚めて競馬予想。
『ツァラトゥストラ 上
(ニーチェ全集 9 )』吉沢伝三郎訳(ちくま学芸文庫)。
わたしは愛する、さいころの目が自分に幸いすると、恥じて、それから、いったい自分は一人のいかさま賭博者であるのか ? と問う者を。――というのは、彼は破滅することを欲するのだから。( 28 頁)
そうじゃない賭博者なんて、信用しない。
ビール 1 リットルと睡眠薬で朝寝。
馬券は 1 戦 1 勝で 15 万 500 円のプラス。
スカパーの PPV で PRIDE GP 2004 の開幕戦の生中継を観戦。
小川、しびれる〜。
地上波の放送だと、ハッスル 3 の宣伝してる部分とかはほとんどカットされちゃうんだろうなあ。
あのために総合のリングに上がるというのがそもそもすごいし、そこであっさり勝っちゃうのもすごい。
そんで、そのあとで、今日のほんとの仕事はこれって感じで「 3 、 2 、 1 、ハッスル、ハッスル」をやるところが最高にかっこいいんだ。
もちろん、ボクもいっしょにやりました。
テレビを見ながらビール 2 リットルと睡眠薬。
04/24 sat
『ツァラトゥストラ 上
(ニーチェ全集 9 )』吉沢伝三郎訳(ちくま学芸文庫)。
「わたしの幸福になんのことがあろう ! それは貧困と不潔と或るあわれむべき自己満足とである。わたしの幸福は現存在そのものを是認すべきはずのものであるのだが ! 」( 24 頁)
「アレゴリカルな読解をせずに『ツァラトゥストラ』を読む」ということが、きゅうにしたくなった。
そういう生理には、すなおにしたがうのがよいと思う。
『ブッダ 4 〜 11 』手塚治虫
ビール 2 リットルで昼寝。
馬券は買わず。
競馬予想 TV を見ながらビール 2 リットルと睡眠薬。
04/23 fri
『ダイアローグ 1 』柄谷行人(第三文明社)所収「批評家の生と死」、読了。
吉本隆明との対談。
柄谷 そういう中間的な距離というのが、ぼくはいいのじゃないかと思います。それで、たとえば人間関係の場合でも、お互いが完全にエゴイズムというのを了解したうえで、そういうところから優しさというものが滲み出てくるような関係は、とても清潔だと思うのです。( 16 頁)
この発言も、とても清潔だと思うのです。
はじめて読んだ高校生のころ、この言葉にどれほど啓蒙されたか。
柄谷 現実には、そうはいかないです。むしろ、今の学生など見ていると逆ですね。自分と他人はどうしようもないのだ。違うんだ。そういう認識がないわけですよ。それどころか彼らは、自分と他人が違うんだというところから始めるとかえってダメなわけで、そうするとものを言う必要はなくなってしまう。( 16 頁)
柄谷 中間的な距離をとっていると、諦めることもできないかわりに、他人に強制することもできないというような、そういうところに生まれる言葉が、本当の散文じゃないかと思うのです。( 16 頁)
ボクの文章は、ほとんどのばあい散文にならない。
なぜそうなのか悩むより、散文になる対象についてだけ書くほうがいいのだとわかってはきたんだけれど。
テレビを見ながらビール 3 リットルと睡眠薬。
04/22 thu
『ダイアローグ 4 』柄谷行人(第三文明社)所収「貨幣・信用・国家」、読了。
岩井克人・浅田彰との鼎談。
岩井 ぼくはいつも思うんだけど、かつての資本家のほうがもう少し、したたかでしたね。貨幣の貨幣たる所以を知っていたという意味でね。今、 TV ゲームのように投機をやっている新人類相場師たちは、株の暴落が起こると、おそらく慌てて貨幣に戻ることになるでしょう。貨幣なら安全だと考えてね。しかしその安全だと思ってる貨幣自身が、じつはまさしく根拠のない、絶対的な意味でのスペキュレーションなんですよね。( 131 頁)
ボクは貯金はしない。
お金があっても、繰り返しスペキュレートしていくだけだ。
終わりのときまで。
テレビを見ながらビール 2 リットルと睡眠薬。
04/21 wed
『逃走論』浅田彰(ちくま文庫)所収『マルクス・貨幣・言語』、読了。
柄谷行人・岩井克人との共同討議。
浅田 「ゼロ記号論は中心を破壊する」なんて議論は基本的な誤りであって、《ゼロ記号》こそが形而上学なんです。( 176 頁)
見えざる中心は遍在する。
『ブッダ 1 〜 3 』手塚治虫
テレビを見ながらビール 2.5 リットルと睡眠薬。
04/20 tue
やったった。
賃貸マンションであるわが家の壁に、配線のために直径 5 センチの穴をぶち開けたった。
作業中、脚立がひっくり返って、ハンマードリルをかかえたまま墜落したときには死ぬかと思いました。
あとは、引っ越すときに、いかにごまかすべきかだけだな。
テレビを見ながらビール 2 リットルと睡眠薬。
04/19 mon
『坂口安吾全集 15 』(ちくま文庫)所収「便乗型の暴力」「由紀しげ子よエゴイストになれ」「温浴」「推理小説論」「我が人生観
(一)生まれなかった子供」、読了。
女房は遊び好きで、ハデなことが好きであったが、私に対しては献身的であった。ふだんは私にまかせきって、たよりなく遊びふけっているが、私が病気になったりすると、立派に義務を果し、私を看病するために、覚醒剤をのんで、数日つききっている。私はふと女房がやつれ果てていることに気附いて、眠ることと、医者にみてもらうことをすすめても、うなずくだけで、そんな身体で、日中は金の工面にとびまわったりするのであった。そして精魂つき果てた一夜、彼女は私の枕元で、ねむってしまう。すると、彼女の疲れた夢は、ウワゴトの中で、私ではない他の男の名をよんでいるのであった。( 580 頁)
哀しい。
でも、愛情ってこういうもんだよな。
テレビを見ながらビール 2 リットルと睡眠薬。
04/18 sun
『歴史の終わりと世紀末の世界』浅田彰(小学館)所収「「世界新秩序」の内部と外部」、読了。
スラヴォイ・ジジェクとの対談。
浅田 それに、セルビア人たちがいまボスニアでやっていると言われる「民族浄化」だけでも、われわれを戦慄させるのに十分です。
ジジェク そう。信頼すべき情報によれば、集落ごとにモスレムたちを一箇所に集め、幼い子供を家族の目の前でレイプし、次に、子供の目の前で両親の目をえぐり耳を切り落として殺すというのが、一般的な手順のようです。( 46 頁)
こういう吐き気がするような状況において、「中立」なんてありえるのか。
ビール 1 リットルと睡眠薬で朝寝。
馬券は 3 戦 3 敗で 4 万円のマイナス。
テレビを見ながらビール 2 リットルと睡眠薬。
04/17 sat
『シンポジウム 1 』柄谷行人編著(太田出版)所収「湾岸戦争以後」、読了。
柄谷 葛藤は、貿易摩擦としては昔からあります。しかし、湾岸戦争においてはっきりしてきたのは、日本側が、それを利用して、軍事的にも大国として復活しようとしたこと、それが実現しそうなことです。戦争の過程で、世論が巧妙に操作されたのです。( 32 頁)
いまやもう、完全に軍事国家としてあるものね。
やっぱりそれには徹底的に反対だ。
ビール 1.5 リットルと睡眠薬で朝寝。
馬券は 1 戦 1 勝で 19 万 1 千円のプラス。
『カント全集 4 』有福孝岳訳(岩波書店)所収「純粋理性批判(上)」。
私が物体の概念を実体のカテゴリーのもとに置く場合、実体のカテゴリーによって規定されるのは、経験における物体の経験的直観はつねに主語としてのみ考察されるのであって、決して単なる述語としては考察されてはならない、ということである。( 175 頁)
論理的使用からカテゴリーへ。
競馬予想 TV を見ながらビール 2 リットルと睡眠薬。
04/16 fri
『歴史の終わりと世紀末の世界』浅田彰(小学館)所収「歴史の袋小路をぬけて」、読了。
エドワード・サイードとの対談。
サイード さらに言えば、固定した体系をもってしまうと、ただちに一定の枠の中に囲い込まれてしまう危険が生じる。だから、体系なしで考えなければならない。もちろん、いくつかの原則はある。しかし、つねに動いていなければならない。( 134 頁)
知識人と学者との違い。
柄谷行人も似たようなことを言ってるよね。
『カント全集 4 』有福孝岳訳(岩波書店)所収「純粋理性批判(上)」。
しかし、諸現象が決して提供することがないのは、結果が必然的であるということ、だから、原因と結果の総合に経験的には決して表現されえない尊厳も付属するということ、すなわち、結果は単に原因に付け加わるのではなく、原因によって定立され、原因から帰結するということである。( 171 頁)
直観からは原因の概念は出てこない。
テレビを見ながらビール 3 リットルと睡眠薬。
04/15 thu
『歴史の終わりと世紀末の世界』浅田彰(小学館)所収「「ホンネの共同体を超えて」、読了。
柄谷行人との対談。
柄谷 夏目漱石が、『三四郎』のなかで、現在の日本人は偽善を嫌うあまりに露悪趣味に向かっている、と言っている。つまり、理念を言うと偽善になるから、偽善になるより正直に悪でいたほうがいいというふうになる。これは今でもあてはまると思う。むしろ偽善が必要なんです。たしかに、人権なんて言っている連中は偽善に決まっている。ただ、その偽善を徹底すればそれなりの効果をもつわけで、すなわちそれは理念が統制的に働いているということになるわけでしょう。( 243 頁)
たとえ、それがどんなに馬鹿げた連中であれ、人の命は重い。
そして、それを堂々と主張できたなら、それは世界にたいして日本国家として、ある理念をしめすことになったと思う。
『カント全集 4 』有福孝岳訳(岩波書店)所収「純粋理性批判(上)」。
いまや同様な結合が諸物の全体において考えられる。なぜなら、結果としてのある物がその存在の原因としての別の物に従属的に秩序づけられるのではなく、むしろ同時にかつ交互的に別の物の規定に関する原因として並存的に秩序づけられる(たとえば、その諸部分が互いに交互に引っ張りあい、そしてまた抵抗しあう物体におけるように)からである。( 161 頁)
けっきょく、論理的に書かれてることを、ボクがどうしても倫理的に読んでしまう傾向があるのか。
テレビを見ながらビール 2 リットルと睡眠薬。
04/14 wed
『シンポジウム』柄谷行人編・著(思潮社)所収「 <近代の超克> をめぐって」、読了。
浅田 常にそういう偶然的な外との関係こそが問題なので、そういう問題を括弧に入れて全体的な調和のヴィジョンを描いたとたん、それはただちに抑圧に転化せざるをえないだろうと思うんです。廣松さんはそれに対して、それは京都学派のヴィジョンが不十分だっただけのことで、今はいわば左翼的な立場からもっとすぐれたヴィジョンを描くべきだ、というお話しだったんですね。京都学派の真の後継者は、いわゆる新京都学派なんかではなくて廣松哲学だということがよくわかった(笑)。
廣松 心配ご無用(笑)。( 235 頁)
これだけ痛烈な皮肉もないよなあ。
『カント全集 4 』有福孝岳訳(岩波書店)所収「純粋理性批判(上)」。
それゆえ、選言的判断には認識のある種の相互性がある。しかも、この相互性は、認識が互いに排除しあうけれども、そのことによって全体として真の認識を規定するという点に成り立つ。( 150 頁)
しかし、選言的判断は蓋然的なものでしかありえない。
そして判断における思惟機能の表の 4 の様相において、 3 の関係においてあった定言的判断・仮言的判断・選言的判断の順序が逆に読まれる。
たとえば、
さてここではすべてが徐々に悟性に一体化されるのであり、だから、われわれはあることをまずもって蓋然的に判断し、またそれに続けてそのあることをたぶん主張的に真なるものと想定し、最後には悟性と分かちがたく結び付けられたもの、すなわち、必然的にして論証的なものと主張するのであるから、われわれは様相のこれら三つの機能を同様に思惟一般の三契機と呼ぶことができるのである。( 152 頁)
というふうになるわけだけど、ここまで読んだだけだと、どうもいかがわしいなあ。
もちろん、論理的な矛盾があるとかいうレベルじゃなくて、すんなりいきすぎてて逆にひっかかるというような意味で。
テレビを見ながらビール 3 リットルと睡眠薬。
04/13 tue
『カント全集 4 』有福孝岳訳(岩波書店)所収「純粋理性批判(上)」。
単に直観以外のいかなる表象も直接的に対象には関わらないので、概念は決して直接的には対象に関係づけられず、むしろ対象についての何らかの別の表象(それが直観であれ、それ自身すでに概念であれ)に関係づけられる。だから、判断は対象の間接的認識であり、したがって対象の表象の表象である。( 145 頁)
表象の総合が悟性のすべての働きであり、つまり思惟である。
テレビを見ながらビール 2 リットルと睡眠薬。
04/12 mon
『カント全集 4 』有福孝岳訳(岩波書店)所収「純粋理性批判(上)」。
したがって、超越論的分析論はもともとただ経験的使用を判定する規準であるべきものにすぎないので、もしひとがこれを一般的無制限的な使用のオルガノンとみなし、純粋悟性のみによって、諸対象一般について総合的に判断し主張し決定することを敢えてするならば、超越論的分析論は誤用されることになるのである。( 139 頁)
この誤用をさけるために《悟性と理性の超自然的使用に関》して両者を批判することが超越論的弁証法なのである。
テレビを見ながらビール 2 リットルと睡眠薬。
04/11 sun
馬券は 3 戦 3 敗で 4 万円のマイナス。
『カント全集 4 』有福孝岳訳(岩波書店)所収「純粋理性批判(上)」。
ここで、私は、すべての後続の考察に影響を及ぼす注記、しっかりと念頭におかなければならない注記をしておく。それは、おのおののアプリオリな認識が超越論的(認識のアプリオリな可能性または使用)と呼ばれなければならないのではなく、ある種の表象(直観あるいは概念)がもっぱらアプリオリに適用されるということ、あるいは可能であるということ、ならびに、どのようにして適用されるのか、あるいはどのようにして可能であるのかということを、われわれがそれを通じて認識する認識のみが超越論的と呼ばれなければならないということである。( 134 頁)
認識を認識するために外在的な支点を持つこと。
それが超越論的ということである。
テレビを見ながらビール 2 リットルと睡眠薬。
04/10 sat
ビール 1.5 リットルで昼寝。
馬券は 2 戦 2 勝で 3 万 8 千円のプラス。
『カント全集 4 』有福孝岳訳(岩波書店)所収「純粋理性批判(上)」。
というのは、自己意識の能力は、実際にも、直接的に自己活動的に自らを表象するであろうがままに自らを直観するのではなく、内から触発される仕方に従って、したがって、あるがままにではなく、自らに現象するがままに自らを直観するからである。( 125 頁)
主観の直観は自己活動的に、知性的に、あたえられるのではない。
出産準備品を買いに行って、ベビーフードコーナーにくぎづけ。
「白身魚のチーズドリア」だとか「かれいと大根の煮つけ」だとか、いいもん食してやがんだなあ。
そのうちぜんぶ味見しちゃる。
競馬予想 TV を見ながらビール 2 リットルと睡眠薬。
04/09 fri
『坂口安吾全集 15 』(ちくま文庫)所収「西荻随筆」「僕はもう治っている」「神経衰弱的野球論」「深夜は睡るに限ること」「戦後新人論」「スポーツ・文学・政治」、読了。
この間も気狂病院に入っているとき考えたのだが、真善美なんてもっと人間が進歩すると区別がなくなるだろうが、そのとき、今あるもので一番そういう状態に近づいているものはチエホフだと思った。チエホフって奴は永遠の青年だね。フロイドなんかも逆に考えてそう言えるね。( 535 頁)
たぶん、リアリズムを別の観点から考えるとそうなるんだ。
『カント全集 4 』有福孝岳訳(岩波書店)所収「純粋理性批判(上)」。
したがって、われわれは、前者によって諸物自体そのものの性質を明瞭に認識しないだけでなく、およそ認識しないのであり、われわれがわれわれの主観的性質を取り除くや否や、感性的直観が客観に付与した諸特性とともに、表象された客観はどこにも見出されるべきではないし、また見出されることもできないのである。というのは、まさにこの主観的性質が現象としての客観の形式を規定するからである。( 119 頁)
感性はどこまでも主観的なものであり、それが見いだす客観は物自体の認識とは切りはなされている。
テレビを見ながらビール 3 リットルと睡眠薬。
04/08 thu
『坂口安吾全集 15 』(ちくま文庫)所収「哀れなトンマ先生」「「刺青殺人事件」を評す」「インテリの感傷」、読了。
敗戦、そして、この社会的混乱、そこで、ようやく、これではいかぬ、政治に目覚めたなどとは、バカも休み休み云うがよろしく、自我についての思弁のひらかれた十何歳の年齢から、自我と社会、自我の在り方と同時に社会の在り方というものは、表裏一体、離るべからざるものでなければ、すべての思弁がナンセンスであったにすぎないのである。( 491 頁)
自我と社会との逆立関係をはなれてなされる思考は無意味だ。
それが形而上学的なものであれ、社会学的なものであれ。
本を捨てる。
読んでない本もどしどし捨てる。
必要がなくなったものをすてるのは、気分がいい。
『カント全集 4 』有福孝岳訳(岩波書店)所収「純粋理性批判(上)」。
そして、われわれが外的諸対象と呼んでいるものはわれわれの感性の単なる表象に他ならないものであり、われわれの感性の形式は空間であり、この感性の真の相関体、すなわち物自体そのものはこの形式を通じては全然認識されないし、認識されることもできないのであり、しかし経験においても物自体そのものについては決して問われない、という警告である。( 106 頁)
空間とはボクたちとってアプリオリにあたえられた直観の形式であり、それを取りのぞいて外的諸対象を認識することはできない。
というより、それなしには外的実在が対象として表象することはありえない。
したがって、物自体そのものを知ることは不可能である。
テレビを見ながらビール 3.5 リットルと睡眠薬。
04/07 wed
『カント全集 4 』有福孝岳訳(岩波書店)所収「純粋理性批判(上)」。
しかし、問題は何をわれわれは与えられた概念に対して付加して考えるべきであるかではなく、何をわれわれは現実に与えられた概念のうちに、たとえ曖昧にすぎないとしても、考えているかである。そこで明らかになるのは、述語は先の諸概念になるほど必然的に結び付くが、しかし概念そのものにおいて考えられたものとしてでなくて、概念に付け加わらなければならない直観を介して結び付くということである。( 80 頁)
《数学的判断はことごとく総合的である》が、しかし概念そのものからそのような総合的判断をひきだすことはできない。
それゆえ、ここでは、直観はそれによってのみ総合が可能になる補助として採用されねばならない。( 80 頁)
テレビを見ながらビール 3 リットルと睡眠薬。
04/06 tue
『近代日本の批評 2
昭和篇 下』柄谷行人[編](講談社文芸文庫)、読了。
蓮實 言葉と向かいあえば誰だって緊張しますよ。イメージは他者たりえないから人を緊張させない。( 235 頁)
言葉の他者性と向きあうためには、他者性をもった言葉にふれなきゃならない。
ここんとこ、そういうあたりまえのことに、いまさらながら気づかされてる。
『カント全集 4 』有福孝岳訳(岩波書店)所収「純粋理性批判(上)」。
さて、なるほど数学は、諸対象と諸認識が直観において明示されうるかぎりにおいてのみ、諸対象と諸認識に専念するのである。( 73 頁)
感性界をはなれて純粋悟性を使用したプラトンを、カントは批判する。
感性という形式からあたえられる直観をもとにしない悟性の使用は、概念の拡張に対して無批判的だからである。
そこでは、それが、ひとつの概念を分解してえられたものなのか(分析的判断)、ふたつの概念を結びつけてえられたものなのか(総合的判断)、といった問いが生じることはない。
テレビを見ながらビール 3 リットルと睡眠薬。
04/05 mon
『近代日本の批評 2
昭和篇 下』柄谷行人[編](講談社文芸文庫)。
柄谷 彼は後に文壇的批評家になるんですけれど、六十年代後半では本当にポツンといたんですね。彼は群像新人賞を第一回目で受賞したのだけれど、そのあと文芸雑誌に載せてもらえなかった。載せてくれないからといってもう一回新人賞に応募して断られたという話がある。ぼくはその時期の秋山駿は非常に好きだった。( 186 頁)
うん。
秋山駿は、川村二郎や磯田光一とはまったく違っていま読んでもじゅうぶんおもしろいと思う。
『カント全集 4 』有福孝岳訳(岩波書店)所収「純粋理性批判(上)」。
たとえば人間の魂といったまさに同じ存在者について、その意志は自由であるけれども同時に自然必然性に従属している、すなわち、自由ではない、というふうに、私は明らかな矛盾に陥ることなしには語りえないであろう。( 41 頁)
カントは思弁的理性や経験的考察によっては自由を認識することはできないが、しかし《自由を
思惟することができる》という。
人倫性を確保するためにである。
それゆえ、私は信仰に場所を獲得するために、知識を放棄しなければならなかった。( 43 頁)
テレビを見ながらビール 2 リットルと睡眠薬。
04/04 sun
ビール 1.5 リットルで昼寝。
馬券は 1 戦 1 敗で 5 万円のマイナス。
『近代日本の批評 2
昭和篇 下』柄谷行人[編](講談社文芸文庫)。
三浦 しかし、民俗学とか文化人類学とかは、ほとんど文学の変種だとぼくは思うけどね。
蓮實 違います。文化人類学は「文化」的な科学であって断じて「芸術」たりえない。この違いは決定的なんです。そして、大江健三郎は徹底して「野蛮」であったがゆえに、あるいは「愚鈍」と呼んでもいいけど、ときには「文化」的な寄り道をしながらも文学に固執し、意識することなく可能性の中心を射ぬいていたのだ。
( 186 頁)
三浦雅士の思考の、イメージに対するこの抵抗力のなさはなんなんだろう。
それにしてもこの討議、 1965 年から 1989 年という期間もテーマに入れたというのがすごいよな。
その期間においてもっとも重要な批評家である柄谷行人と蓮實重彦と浅田彰の 3 人が討議にくわわっているわけで、どんな問題をあつかっても、ある意味で自己言及的にならざるをえないわけだから。
『カント全集 4 』有福孝岳訳(岩波書店)所収「純粋理性批判(上)」。
これまでは、われわれの全認識は諸対象に従わねばならないと想定されていた。しかし、諸対象についてアプリオリに諸概念を通じて或るものを構成しようとする――それによってわれわれの認識が拡張されるであろう――試みのすべては、こうした前提のもとでは無に帰した。( 33 頁)
どっこいしょ、と。
前に読んだのは、たしか大学にはいった年だったっけ。
あのときは、「諸概念」というのをコード的なものとして読んだように思う。
いや、ちがったっけ。
とにかく、そういう読みはちがってるような気がしてる。
テレビを見ながらビール 2 リットルと睡眠薬。
04/03 sat
ビール 1.5 リットルで昼寝。
馬券は買わず。
『近代日本の批評 2
昭和篇 下』柄谷行人[編](講談社文芸文庫)。
三浦 柄谷さんは吉本の『マチウ書試論』に関してはどう思いますか。
柄谷 あそこで彼が言った「関係の絶対性」ということは、相対的な関係の絶対性であって、関係そのものは消せないという認識だったと思います。しかし、これが初期マルクスを読んで消えるんですよ。類的本質なんて言い出すから。なんであれを新しいと思ってしまったのか。( 178 頁)
なんだかんだいって、柄谷さんは吉本隆明にちゃんとやってほしかったんだよな。
きょねん飲み会の席で柄谷さんとそのことについて口論になったんだった。
競馬予想 TV を見ながらビール 2 リットルと睡眠薬。
04/02 fri
『モオツァルト・無常という事』小林秀雄(新潮文庫)所収「骨董」「真贋」、読了。
同書、読了。
では美は信用であるか。そうである。純粋美とは譬喩である。( 178 頁)
こううそぶくくせに、小林秀雄は自分自身の書物についての真贋を、やたらに気にするんだ。
感染確認。
駆除。
『近代日本の批評 2
昭和篇 下』柄谷行人[編](講談社文芸文庫)。
柄谷 こういうことを言うのは、何も江藤淳がそれらの真似をしたということを言いたいのではなくて、戦後の日本の批評家のなかで、はじめて世界の知的水準に伍してやろうとしたということを言いたいのです。だからもっとちゃんと取り組めば、ケネス・バーク以上にやれたかもしれないのに、『小林秀雄』においては言語論をやめてしまうでしょう。心理学に移ってしまう。( 92 頁)
江藤淳はいまでももうちょっと読まれてもいいと思う。
だけど、自分では読みかえす気にはならないんだよなあ。
テレビを見ながらビール 3 リットルと睡眠薬。
04/01 thu
『探究 1 』柄谷行人(講談社学術文庫)、読了。
たとえば、フロイトの精神分析においては、対関係しか存在しない。彼は「個人心理」も「集団心理」もみとめない。「無意識」とは、ただ他者との対関係において、 "事後的" にあるだけだ。( 246 頁)
フロイトのこの「無意識」を基底的でありアプリオリなものであるとみなしてしまったのが、その後の精神分析である。
やば。
感染したかも。
テレビを見ながらビール 3 リットルと睡眠薬。