02/29 sun
切ないのう。
馬券は買わず。
『内省と遡行』柄谷行人(講談社)所収「言語・数・貨幣」、読了。
いうまでもなく、矛盾(対立)とは、多重的なずれ・偏差を、一つの体系に閉じこめ単純化したものである。「意識」が自然成長的な差異化の結果と原因を比較することによって仮構する生成の弁証法には、すでに生成変化そのものが消去されてしまっている。( 228 頁)
意識に現われる矛盾という形式化された「にせ」の問題を取り払って「自然成長的な差異化」を見るためには、しかし、対象をとことん形式化するという逆説的な方法しかない。
それにしても、この論文、どんどん息苦しくなってくる。
アダム・スミスの「分業」概念は、のちに生物学にまで適用され拡張されていった(「社会分業論」)。それは、たとえば、動物の "社会" や植物の "システム" (エコシステム)を考える手がかりを与えたのだ。つまり、工業社会のもたらす諸弊害を批判するエコロジストたちの根拠は、実は、アダム・スミスがそこから分業システムの概念をひき出した、工業資本主義にもとづいている。( 232 頁)
だからエコロジストはうさんくさい。
テレビを見ながらビール 2.5 リットルと睡眠薬。
02/28 sat
馬券は 1 戦 1 敗で 1 万円のマイナス。
競馬予想 TV を見ながらビール 2.5 リットルと睡眠薬。
02/27 fri
『内省と遡行』柄谷行人(講談社)所収「言語・数・貨幣」。
商品は、ここでは、たんなる形式(記号)ついてのみ存する。われわれはそこに生産や労働時間や人間主体などをもちこむことを許されていない。( 197 頁)
マルクスは「生産」や「労働時間」や「人間主体」などといったものを「超越性」としてもちこむことを許さない。
もちろん、そこでは「貨幣」という中心をも認めない。
ただ、それは「貨幣」という超越的中心をいちど認めた上で、「貨幣形態」を非中心化させるという方法でである。
価値形式論は、貨幣の必然的な生成をもって、めでたく終わるのではない。それは、いわば貨幣の生成によってはたされたはずのロジカル・タイピングが、不可避的に侵犯されざるをえないことを不気味に示唆して終わるのである。( 202 頁)
『モオツァルト・無常という事』小林秀雄(新潮文庫)所収「無常という事」、読了。
生きている人間などというものは、どうも仕方のない代物だな。何を考えているのやら、何を言い出すのやら、仕出来すのやら、自分の事にせよ、他人事にせよ、解った例しがあったのか、鑑賞にも観察にも堪えない。( 69 頁)
こういう悟りすましたような小林秀雄に、安吾のような人が怒りを感じるのはとうぜんだ。
ただ、安吾の考えの一部ははっきりと小林秀雄への反発から出たものであり、小林秀雄にそれだけのものがあったことを安吾を読むときに忘れてはならない。
テレビを見ながらビール 2 リットルと睡眠薬。
02/26 thu
『言語と悲劇』柄谷行人(第三文明社)所収「「理」の批判
――日本思想におけるプレモダンとポストモダン」、読了。
ミシェル・フーコーは注釈について、「注釈するということは、その定義からして、『シニフィアン』よりも『シニフィエ』が過剰にある、ということを認めることだ」と述べています。( 140 頁)
こういうことは頭で理解したって「認め」たことにはならない。
『内省と遡行』柄谷行人(講談社)所収「言語・数・貨幣」。
われわれは、ニーチェのように非凡に語ることができないがゆえに、積極的に凡庸さを選ぶ。いいかえれば、ニーチェを模倣して結局プロヴィンシャルな言葉遊びに堕していったハイデッガーやデリダのかわりに、「厳密な学」をめざしたフッサールやフレーゲの道を選ぶ。( 168 頁)
うーん、厳しいなあ。
この論文が未完に終わったのが、わかるような気がする。
『モオツァルト・無常という事』小林秀雄(新潮文庫)所収「徒然草」、読了。
彼には常に物が見えている、人間が見えている、見え過ぎている、どんな思想も意見も彼を動かすに足りぬ。( 65 頁)
これは小林秀雄が、そう作り上げた自分自身のことを書いてるんじゃないかと思うような文章だ。
テレビを見ながらビール 2 リットルと睡眠薬。
02/25 wed
『内省と遡行』柄谷行人(講談社)所収「言語・数・貨幣」。
言語とはもともと言語についての言語である。すなわち、言語は、たんなる差異体系(形式体系・関係体系)なのではなく、自己言及的・自己関係的な、つまりそれ自身に対して差異的であるところの、差異体系なのだ。自己言及的(セルフリファレンシャル)な形式体系あるいは自己差異的(セルフディファレンシャル)な差異体系には、根拠がなく、中心がない。あるいはニーチェがいうように多中心(多主観)的であり、ソシュールがいうように混沌かつ過剰である。ラング(形式体系)は、自己言及性の禁止においてある。( 147 頁)
もちろん、ソシュールはこのようなラングの発見に満足したのではないのであって、それを考えずに彼を評価してもはじまらない。
『言語と悲劇』柄谷行人(第三文明社)所収「江戸の注釈学と現在」、読了。
よく、テクストを解放せよと言う人がいますが、テクストとはそういうものではありません。
むしろ、テクストの中にはすべてが入っているのだと考えないかぎり、テクストを "意味" から解放することなど、できるわけがありません。そのためには、信念がなくてはならない。つまり『論語』は確実なんだ、『論語』の中にはすべてが書かれているんだと考えないと、『論語』を囲っている朱子学的な理論体系を批判することはできないのです。( 119 頁)
「大文字のテクスト」。
なんでもかんでも多義的に読めばいいってもんでもないし、読めるってもんでもない。
サイトづくりに、もっと精を出しとけばよかった。
自分の才能のなさを悔やむ。
せっかくだったのに。
『モオツァルト・無常という事』小林秀雄(新潮文庫)所収「当麻」、読了。
肉体の動きに則って観念の動きを修正するがいい、前者の動きは後者の動きより遥かに微妙で深淵だから、彼はそう言っているのだ。( 63 頁)
ここでいう「肉体」をプリミティヴなものとして想像するのはまちがいだ。
ある意味で、それはすでに「観念」を通して、それの結晶として出てきた「肉体」なのだから。
テレビを見ながらビール 2 リットルと睡眠薬。
02/24 tue
『内省と遡行』柄谷行人(講談社)所収「言語・数・貨幣」。
フッサールのいう「生活世界」は、われわれの考えでは、本来的には自己言及性のパラドックスにさらされるがゆえに、過剰で不均衡な世界である。ラッセルと同様に、フッサールは、自己言及性の禁止(ロジカル・タイプ)によって、超越論的主観性を確保しようとする。( 133 頁)
すでに多くの者によってなされてきたように、その試みを批判するのはたやすい。
しかし、フッサールが《結局主観性(内省)から出発しその視圏内で動いている》としても、それはある種の徹底の結果であると、著者はいう。
図示したような地(グラウンド)と図(フィギュア)の反転可能性は、フッサールが論理主義的に "根拠" をもとうとしたがゆえに、逆にその "無根拠性" をもそれだけ強く確認せねばならなかったことを示している。( 135 頁)
これは、たぶん、苦痛であったろう。
『坂口安吾全集 15 』(ちくま文庫)所収「戦争論」「ヨーロッパ的性格 ニッポン的性格」、読了。
こんな女に誰がした、という無自覚、無責任な、反文化的魂が、いたずらに世相に反抗をもらしたところで、いかなる進歩が有りうるであろうか。こんな女に誰がした、というような無自覚、無責任な魂は、反抗などすべきでなく、どこまででも、こんな女にされて行くがよろしいのである。( 447 頁)
自由であるための、自覚・責任。
どれも使い古された言葉ではあるけれども。
『考えるヒント 2 』小林秀雄(文春文庫)所収「常識について」。
素直に取れば、孔子は、こう言っている、という事になる、「自分は、質問されて、君の質問は曖昧だが、実は、君は、正確にはこういう事が質問したいのではないかね、そう相手に言うだけだ」と。( 196 頁)
質問されて、それについて答える。
原理があるのではなく、方法だけがある。
方法だけがある、というような方法。
正しく質問しようと努める他に、何処に正しい知の働きを身につける道があろうか( 197 頁)
テレビを見ながらビール 2 リットルと睡眠薬。
02/23 mon
『内省と遡行』柄谷行人(講談社)所収「内省と遡行」、読了。
言語の「構造」を考えるとき、われわれはすでに超越論的なシニフィエ(概念)を想定してしまっている。そこに恣意性が見い出されるとはいえ、実はそれは限定されてしまっている。( 90 頁)
しかし、やはりそこから始めるほかはない。
「始まり」が「終わり」を要求してしまうとしても。
『近代日本の批評・
明治・大正篇(福武書店)柄谷行人編、読了。
蓮實 考えるってことは抽象的な議論を好むこととはまったく別の語で、ものを読むことができた上で、しかも分析 = 記述による健全なイメージ形成能力があるってことです。( 286 頁)
時間がないことを「分析 = 記述」ができないことのいいわけにはしないでおこう。
『中国名詩選
(中)」松枝茂夫編(岩波文庫)。
百年 三万六千日、
一日須らく三百杯を傾くべし。( 288 頁)
まいにち飲んでる。
ビール 2 リットルと睡眠薬。
02/22 sun
馬券は 1 戦 1 敗で 2 万円のマイナス。
酒のみながら馬券を買ったら、買いまちがえた。
予想は当たってたのに、痛恨の入力ミス。
10 万円かえってくるはずが、ぎゃくに 2 万円減った。
12 万円のダメージ。
よくやるんだ。
買いまちがえと締め切りに間に合わないっていうのを。
『言語と悲劇』柄谷行人(第三文明社)所収「言葉と悲劇」、読了。
われわれが、世界を一つの理念や法則性によって説明しうると思えるようになったとき、その理念がプラトニズムであれ、キリスト教であれ、マルクス主義であれ、進歩主義であれ、そこにおいて悲劇的認識は終わります。悲劇的認識は、その直前にある。( 48 頁)
著者は、ギリシャ悲劇を《ソクラテス以前的な認識》に、シェイクスピアを《ピューリタン革命によって解消させられてしまう直前にあったような「認識」》においてみる。
言いかえれば、それらはある一定の期間においてしかありえなかったということだ。
「直前」、ということが重要なのだ。
その意味で、著者がこのふたつの悲劇に類比するような認識を、「子供」のころのわれわれ自身において見いだしていることは、根底的である。
五歳の子供は、もうすべてを了解しているのではないでしょうか。彼は、親がもう万能の神ではないし、親にもどうにもならないものがあるということを、わかっています。それは、ある純粋な悲哀であり、不条理感です。それ以後われわれが何を学んだとしても、その時に感じた人性や世界についての把握に、付加するものなどないのではないか。ところが、五歳を過ぎ、小学校に行くようになれば、もはやただの幼稚な子供になってしまいます。
ギリシア悲劇は、そういう意味で、五歳ごろに持っていたような世界の把握を思い出させるのです。そういう類推でいえば、シェイクスピア悲劇は、十一、二歳のころのような感じがあります。この時期の子供も、高校生や大学生以上に世界が見えていると思う。( 61 頁)
テレビを見ながらビール 1.5 リットルと黒糖焼酎「龍宮」 3 杯。
ウイスキーのなかではスコッチがいちばん好きなんだよなあ。
バーボンは甘くて。
スコッチが、すげえ飲みたくなった。
02/21 sat
ビール 1.5 リットルで昼寝。
馬券は 1 戦 1 敗で 1 万円のマイナス。
『内省と遡行』柄谷行人(講談社)所収「内省と遡行」。
マルクスが、人間は歴史を作るが、思うようにではないとか、人間は彼がやっている(作っている)ことを知らないということを強調するとき、実は彼は「作品」、あるいは「生産」という概念を放棄していたのだ。『ドイツ・イデオロギー』において、はじまりに、まさに「はじまり(アルケー)」を想像的なものして斥けるべく、「自然成長性」という概念が出現していることを見よ。( 89 頁)
マルクスのことを考えると、とたんに曖昧になる。
もちろん、ボクの理解力が低いせいなんだけれども。
ただ、「主体」とか「原因」を批判するとき、ニーチェを持ってくると、ことは明快にはこぶ。
あの文体 ?
競馬予想 TV を見ながらビール 2.5 リットルと睡眠薬。
02/20 fri
『内省と遡行』柄谷行人(講談社)所収「内省と遡行」。
ヘーゲルの「歴史」は、しかし非歴史的なカントから出てくるのである。ごく大ざっぱにいえば、カントにおいて併列的にふりわけられていた、物理学(純粋理性批判)、生物学(判断力批判)、精神(実践理性批判)という分類が、ヘーゲルにおいて成層化されたのである。したがって、ヘーゲルにおける「歴史」は、むしろ歴史を拒絶する共時的な階層化からのみ出てくる。( 67 頁)
《ヘーゲル的な配置》を揺るがすために、息苦しくなるくらいにヘーゲルに密着していく著者。
たぶん、つぎのような方法を徹底するためだろう。
たとえばマルクスによるヘーゲルの「歴史」への批判はむしろそれに即した内在的批判であるほかない。( 68 頁)
『言語と悲劇』柄谷行人(第三文明社)所収「バフチンとウィトゲンシュタイン」「漱石の多様性
――『こゝろ』をめぐって」、読了。
彼らにおいては、個人は社会の中で初めて個人化するものですから、個人と社会は対立概念にはならないのです。( 67 頁)
彼らとは、マルクスとバフチンのこと。
これは意外とむずかしい。
《個人は社会の中で初めて個人化する》という部分は、バフチンのいうようなこととはまるっきり逆の方向へも読めてしまうわけだから。
たとえば、「シニフィエ」と「シニフィアン」という言葉をうかつにつかったとき、その罠にかんたんにはまってしまう。
ビール 3 リットルと睡眠薬。
02/19 thu
深夜 3 時半に帰宅。
きつねうどんとコンビニ弁当を食べながらビール 1.5 リットル。
布団に入ったのは 5 時。
2 時間睡眠。
目覚ましがうらめしい。
『内省と遡行』柄谷行人(講談社)所収「内省と遡行」。
すでにいったように、われわれが見いだす構造は、目的論的な構えのなかにあるし、またそのようにしかわれわれは構造をとりだせない。このとき、ヘーゲルの弁証法的上向におけるように、下位構造がたんなる契機になってしまうのを拒むとすれば、下位構造がより複雑な過剰な多重構造だということを示さなければならない。しかし、構造がいつも下位構造として見いだされるものである以上、そのような多重構造を明証的に示すことはできない。( 50 頁)
この困難をどう解決するのか。
だが、ヘーゲル的な上向(発展)を批判しうる論理は、発展(統合化)が破綻に終るような症候例において自らあらわれる。たとえば、マルクスは恐慌や革命において、フロイトは神経症や夢において、ニーチェは宗教・道徳において、それぞれ上位への移行が隠蔽でしかないような病理学的症候を見いだした。彼らはそこから、ヘーゲル的な下向即上向においては単純化されてしまうほかない多重構造を想定したといえる。( 51 頁)
こういう視点からの「突破」は、『マルクスその可能性の中心』において、すでに著者が行ったことである。
この論文においては、ヘーゲル的な弁証法の「起源」を問うことで、それを揺るがそうという方法がとられているように見える。
そう、ヘーゲル的な弁証法は「揺るがす」ことしかできない。
その認識こそが重要なのだ。
テレビを見ながらビール 2.5 リットルと睡眠薬。
22 時ごろに布団にはいる。
02/18 wed
本場の人がつくる中華料理は、やっぱり違うなあ。
うんまい。
喰った、喰った。
19 時 20 分に店にはいって、深夜 3 時までカラオケ。
しかもシラフで、自分。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
いや、すげえ楽しかったからいいんだけれども。
02/17 tue
『誰か
somebody 』宮部みゆき(講談社)。
病院の先生にすすめられた本。
よく知らないけど、この人の本って売れてるんですよね ?
さいしょのページからして、つぎのような文章が書かれていて、唖然としたんですけど。
しかし暑気は、閉店時間が近づいても席に残って話し込んでいる客のように、まだ当分は腰をあげそうにない。( 5 頁)
白地に墨痕鮮やかな立て看板は、(中略)忠義深い歩哨のように直立して、白金色の陽光を照り返している。( 5 頁)
「閉店時間が近づいても席に残って話し込んでいる客のように」だとか「忠義深い歩哨のように」だなんて比喩を、気がきいた言いまわしだとでも思ってこの作者は使ってるんでしょうか。
まさか、こんなのが「文学的」だなんて思ってませんよね ?
がまんしてつづきを読んではみたんだけど、ずっとこんな調子の冗漫な文章がつづくので、 20 ページほどで投げ出してしまいました。
この本には「読む」楽しみは期待できそうもないんで、あとは「筋を追う」という楽しみが残されているだけみたいです。
たのむから、苦痛でないていどには楽しめる「筋」であってほしい。
というか、自分が読んでない本をひとにすすめるのはよしてください、先生。
そういうとこ、好きではあるんだけど。
『内省と遡行』柄谷行人(講談社)所収「内省と遡行」。
ここで、恣意性と線条性という言葉は、ヤコブソンが考えるようなものとはまったくちがってしまっている。ソシュールは、一方でイデア的同一性から恣意性を照明しておきながら、今や恣意性を、同一性が派生物にすぎないことを証明する手段に用いている。このような意味の移動がソシュールの思考を特徴づけるものだが、それはニーチェをある意味で想起させる。「身体に問いたずねる」というとき、彼は一方で生物学・生理学・物理学によって明らかにされる身体から出発しながら、他方でそのような身体を攻撃する。「身体」は、この意味移動によってメタファーとなる。( 31 頁)
この本と『隠喩としての建築』をあわせて、さらに大幅に加筆されたものが『柄谷行人集』の第 2 巻としてこないだ岩波から発売された。
それを読むまえに、この本を読み返してみる。
前に読んだときの印象より、はるかにおもしろい。
『探求』より、ある意味スリリングだ。
だいたい、後に書かれたものが、その作者にとっての「新しい」考えだなんてこと、信じる必要はない。
テレビを見ながらビール 2 リットルと睡眠薬。
02/16 mon
『考えるヒント 2 』小林秀雄(文春文庫)所収「常識について」。
正しく認識するための「原理」とともに、有効に行動する為の「格率」とが、同時に立てられる。( 184 頁)
例えば、森の中で道に迷い、或る方向に歩き出した場合、その方向を選んだ事については、蓋然的な理由さえなく、全く偶然だったにせよ、選んだ以上は、真っすぐに歩け、と言う。それが、森を出るという目的と離すことの出来ぬ行動の「格率」だと言い切るのです。( 185 頁)
「原理」と「格率」との対立。
誰もがこれを統一して生きている。
ただ、はっきりとは見えないだけだ。
小林秀雄はデカルトにそう言わせる。
分割出来ぬ心は、分割出来る肉体という物体全体に緊密に結合している。この不思議を誰が解こうか。彼は心的な説明原理から身体的秩序が説明できるとも、その逆が出来るとも考えなかった。( 187 頁)
「物質」から「精神」を語ろうとする人がいる。
たとえば、「神経伝達物質」から「心」を説明しようとする人がそうだ。
そういう試みはこれからもどんどん精密に複雑になっていくだろう。
ただ、そういう方法では絶対に謎が残るのだ。
そういう謎にだけ興味がある。
だからこそ、そういう謎を照明するためにだけ、前述のような方法についてもひととおりは知っておきたい。
それが、デカルト(小林秀雄)の下のような認識にくらべて、じつは後退したものでしかないのであっても。
精神の自発性と肉体の必然性という異質の力が交錯し、張合う人間という場所は、情念の嵐の場なのだからである。従って、彼の「情念論」は心理学でもあるし、生理学でもあるし、道徳論でもある。( 188 頁)
テレビを見ながらビール 2 リットルと睡眠薬。
02/15 sun
馬券は 1 戦 1 敗で 1 万円のマイナス。
『近代日本の批評・
明治・大正篇(福武書店)柄谷行人編。
柄谷 要するに、子規が「写生」という言葉で語っているのは、言葉の多様性の解放ということです。「写生文」の本質も実はそこにある。しかし、むろん、それを自覚していたのは漱石だけであって、高浜虚子ではない。( 279 頁)
柄谷 漱石と藤村・花袋らとの差異は、こうした俳句の「写生」の意味をつかんだ「写生文」から小説に至った者と、桂園派の和歌から、いわば「欧化主義」的に新体詩に向かい、さらに自然主義小説に向かった者との差異です。その意味で、最も短詩形である俳句の革新という問題は、すべてエクリチュールの領域に関わると思うんです。( 280 頁)
<言葉の多様性の解放> のためには、言語の物質性とじかに向きあわなくてはならない。
かつての俳句には、そのための「切断」があったという。
和歌的なものは、その対極にある。
ビール 2.5 リットルと睡眠薬。
02/14 sat
近所のサンクスでサンドイッチを買ったら、チョコレートをおまけにつけてくれた。
アルバイトの女の子の自筆のメッセージ付き。
もちろん、男性客みんなにくばってるの。
なんとなくうれしかった自分がさみしい。
馬券は 2 戦 2 敗で 3 万円のマイナス。
『近代日本の批評・
明治・大正篇(福武書店)柄谷行人編。
蓮實 マルクス主義なりキリスト教なり、ある外部が導入された場合、あるいは絶対的な他者でもいいんだけれども、これは父権的たらざるを得ないわけです。ところがそれが内面化され通俗化されて神仏習合みたいなことが現実に起こっていながら、なおかつそこで一般性というものを駆使して世界の真実を語れると思うこともまた父権的な思考なんです。( 240 頁)
一般概念の駆使が父権的な思考に根ざすということは理解できる。
ただ、つぎのようなことがよくわからない。
蓮實 一般概念を使って話をするということは、決して女性的なことではないからです。実は男性的でもないんですが( 240 頁)
男性的ではない父権性というものを <薄められた父権性> として単純にとらえていいのか、それとも濃度差をこえた何かべつのものとして理解しなければならないのか。
蓮實重彦のいうことって、ボクにはどこか理解しづらいところが残る。
ビール 2.5 リットルと睡眠薬。
02/13 fri
『ピヤノアキコ』矢野顕子
うーむ、「ばらの花」をこうきたか。
それにしても、すごい。
『刹那』小沢健二(東芝 EMI )
なんて単純でバカな俺
「強い気持ち・強い愛」
ほんとに、ねえ。
『近代日本の批評・
明治・大正篇(福武書店)柄谷行人編。
柄谷 昭和期における石橋湛山の「後退戦」というのはものすごいですね。どんどん事態が悪化して行く時に、そのつど頑張る。戦争を回避しようとして頑張り、戦争が始まると、それを早く終わらせようとする。
蓮實 「超克」の反対だ。( 179 頁)
観念だけでやってると、なんでも「超克」できてしまう。
ビール 2 リットルと睡眠薬。
02/12 thu
『お伽草子』太宰治(新潮文庫)所収「粋人」「遊興戒」「吉野山」「竹青」、読了。
「故郷の親戚の者たちの前で、いちど、思いきり、大いに威張ってみたいのだ。故郷の者たちに尊敬されるという事は、人間の最高の幸福で、また究極の勝利だ。」
「どうしてそんなに故郷の人たちの思惑ばかり気にするのでしょう。むやみに故郷の人たちの尊敬を得たくて努めている人を、郷原というんじゃなかったかしら。郷原は徳の賊なりと論語に書いてあったわね。」( 200 頁)
こう書いてる太宰は、だけどやっぱり郷原だったんだろうな。
ボクだってそんなところがある。
哀しいけど。
テレビを見ながらビール 2 リットルと睡眠薬。
02/11 wed
『考えるヒント 2 』小林秀雄(文春文庫)所収「常識について」。
「メディタシオン」のなかに「コギト」の定義があります。「私とは何物であるか。思う物 (unechose) である。思う物とは何か。疑い、理解し、肯定し、否定し、欲し、欲せず、又、想像し、感覚する物である」と。こんな解り易い定義はない、というよりも、これは、私達に直接に経験されている諸事実全体の叙述である。彼の言う「思う」とは、何か特別の思い方を指しているのではない。( 176 頁)
解り易いけど、むずかしい。
テレビを見ながらビール 2 リットルと睡眠薬。
02/10 tue
『城』カフカ 前田敬作訳(新潮文庫)。
彼にすれば、オルガの話を聞いているうちにとてつもなく大きな、ほとんど信じかねるような世界がひらかれてきたので、自分のささやかな体験でその世界にふれて、その世界の実体と自分自身の実体とをもっとはっきり確かめてみようとせずにはおれなかったのである。( 360 頁)
そして絶望する。
…んだったらまだ楽なのかもしれない。
絶望できないっていう絶望だものね、カフカのは。
苦しい。
でも、ぜんぶ自分のせいだからしょうがない。
もうやめよう。
「忘れてしまおう」って曲があったな、サニーデイ・サービスに。
『君繋ファイブエム』ASIAN KUNG-FU GENERATION
これを大音量でかけながら窓を全開にして車を走らせてたら、感情のかたまりが少しずつ後ろへとんでった。
『近代日本の批評・
明治・大正篇(福武書店)柄谷行人編。
柄谷 内側でも民主主義と言っているだけで、外に対する態度としては、朝鮮を支配するのは当然という観点は誰も疑っていない。むしろ、「大衆」の欲望を「代表」したという意味では、大正デモクラシーが、昭和のファシズムの基盤になっていると言いたいほどです。( 163 頁)
「外」のことを「内」の論理ですべて解決できるという思考。
蓮實 文化を口にすると、いずれは国家主義的になるんです。( 169 頁)
テレビを見ながらビール 2.5 リットルと睡眠薬。
02/09 mon
『城』カフカ 前田敬作訳(新潮文庫)。
あの子は、ほとんど年をとらないが、ほんとうに若かったこともほとんどないと言われる女たちとおなじような年齢のない顔つきをしています。( 344 頁)
こういう顔つきの人っているよな。
『近代日本の批評・
明治・大正篇(福武書店)柄谷行人編。
テクストの現前に直面する者の優位は何か。内容とともに形式をも読みうるという視点を獲得することである。( 148 頁)
蓮實重彦のレポートから。
テクストを露呈させるためには、 <「記号」の形式への感性が必要だ> と蓮實はいう。
これだと、ようするに構造主義的であれってことにしか読めない。
まあ、もちろん必要最低限の話なんだろうけれども。
テレビを見ながらビール 2.5 リットルと睡眠薬。
02/08 sun
馬券は買わず。
ひさしぶりの激鬱。
でも、ちょっとした救いもある。
『坂口安吾全集 15 』(ちくま文庫)所収「志賀直哉に文学の問題はない」「切捨御免」、読了。
夏目漱石も、その博識にも拘らず、その思惟の根は、わが周囲を肯定し、それを合理化して安定をもとめる以上に深まることが出来なかった。然し、ともかく漱石には、小さな悲しいものながら、脱出の希いはあった。彼の最後の作「明暗」には、悲しい祈りが溢れて溢れている。( 424 頁)
あれは、未完だからとは思えない。
テレビを見ながらビール 2.5 リットルと睡眠薬。
02/07 sat
馬券は 1 戦 1 敗で 1 万円のマイナス。
燃費が悪いという話はネット上で見聞してはいたけど、 1800cc の NA エンジンで車重も軽い車なのに、リッター 10km を下回るという現実はやっぱりつらい。
しかもハイオク指定だし。
『考えるヒント 2 』小林秀雄(文春文庫)所収「常識について」。
少しでも疑わしいものは、これを知らぬと言い切る事は、人性にとっては、ひどく困難な、勇気を要する事だと合点するでしょう。デカルトは、この困難に一生堪えた人だ。( 166 頁)
小林秀雄の描くデカルト像はいま読んでみるととても魅力的に見えてくる。
けっきょく小林自身のことを語ってるんじゃないかといういかがわしさを含めて。
たとえば、自然について。
彼は、全自然を計量的に数学的に解明する可能性を確信したのであるが、そういう学問の体系のうちに、彼の自己が消えたのではない。ただ、自己と自然との対話という劇の一番純粋な形を、彼は演じてみせたという事だ。( 170 頁)
デカルトも全集で読みたいな。
競馬予想 TV を見ながらビール 2.5 リットルと睡眠薬。
02/06 fri
『城』カフカ 前田敬作訳(新潮文庫)。
あなたも、きっとこういう事件に引きずりこまれておしまいになるでしょう――無邪気に、ほとんどバルナバスとおなじくらい無邪気にね。( 312 頁)
用心したって無駄なんだ。
否応なく引きずりこまれてく。
テレビを見ながらビール 2.5 リットルと睡眠薬。
02/05 thu
夢に加護ちゃんがでてきた。
これで、今日から加護ちゃんと辻ちゃんの見わけられるようになるはず。
『考えるヒント 2 』小林秀雄(文春文庫)所収「歴史」、読了。
純粋な意味での物理的現象には、歴史というものはない、というニュートンの洞察力が、どこまでとどいていたかに、驚いてみてもいいのであって、この信心深い人は、聖書の年代を決定する為に、万有引力の法則を利用した時、太陽とか地球とか月とかいう手がかりが、全く人間的な手がかりである事を、恐らく、一方では、誰よりもはっきりと知っていたのではあるまいか。( 149 頁)
不確定性理論を得意げにふりまわす科学解説者や SF 作家にたいして、ニュートンにたいするこの小林秀雄の洞察がいかに新しいか。
なんてことを思ってみる。
ニュートンという人は、無論、今日私達の言う理学博士ではないので、実に広大な知識と洞察力とを持った、深く宗教的な人間であった。現代風の学問は、こんな簡単な事実も忘れ勝ちである。( 141 頁)
世界の歴史は、彼自身の抱いた価値観からすれば、最も貴重なものだったに相違ないなら、歴史の考えを、仕事から追放したについては、断乎たる決心があったと考えていいだろう。( 147 頁)
ここでいう歴史とは時間の流れのことではない。
テレビを見ながらビール 1.5 リットルと麦焼酎「いいちこ」の梅割り 7 杯と睡眠薬。
02/04 wed
『城』カフカ 前田敬作訳(新潮文庫)。
あなたは、この柵を一定の境界線だとお考えになってはいけませんわ。バルナバスも、いくどもわたしにそう言ってきかせるのです。柵は、彼が出入りする部屋のなかにもあるんです。ですから、彼が通り越していく柵もあるわけです。それらの柵は、彼がまだ通り越したことのない柵と外見上ちっとも異ならないのです。ですから、この新しい柵のむこうにはバルナバスがいままでいた部屋とは本質的にちがった官房があるのだと、頭からきめてかかるわけにもいかないのです。( 292 頁)
この茫漠としてとりとめがなく境界のつかめない感じ、これがカフカだ。
あらすじなんて読むより、この一文のほうがよっぽど『城』についてのなにかを知らせてくれる。
『量子の謎を解く』 F ・ A ウルフ 中村誠太郎訳(講談社ブルーバックス)、読了。
個々のパターンは部分的にコヒーレント(可干渉性)になる。つまり互いに他人のパターンをくり返す。( 342 頁)
今日、そのような個々の心の空間的相関は、われわれにはおなじみのものとなっている。ロック・コンサートの経験がそのよい例だろうと私は思う。グループでの瞑想は同様な効果を生み出す。さらに "団結力" も同じことだ。おそらく、これは、人々の意識のパターンが調和しているということだろう。空間的な相関は、われわれに "一つの心" をつくらせる。( 343 頁)
ぎゃっ。
けっきょくヒッピーオチかよ。
『近代日本の批評・
明治・大正篇(福武書店)柄谷行人編。
柄谷 ニーチェは『反時代的考察』の人です。基本的にドイツ国家あるいはヨーロッパにおけるナショナリズムの確立に対して異議を唱えている。これは、社会主義に関しても同じですね。彼が批判している社会主義とは、ドイツ社会民主党であり、第二インターでしょう。これは、国家資本主義と同型なんです。その前のアナーキズム、あるいはインターナショナリズムはパリ・コミューンを最後に消えてしまった( 104 頁)
柄谷 漱石の場合、ニーチェにとっての「ヨーロッパ」が漢文学だったりする。つまり、明治二十年代に強化されるナショナリズムあるいはネーションに対して、そこで失われるユニヴァース、あるいはユニヴァーサリティを「漢文学」と仮に呼んだのではないか。( 105 頁)
安吾はどうだったんだろう。
彼には彼のユニヴァーサリティがたしかにあったんだと思う。
たぶん、根を持てないということなんだろうと思うんだけど、この表現だと誤解を受けそうだな。
ビール 2.5 リットルと睡眠薬。
02/03 tue
『城』カフカ 前田敬作訳(新潮文庫)。
彼女の視線は、いつものように冷たく、澄んでいて、すこしも動かなかった。それは、自分が観察する対象にまともに向けられず、わずかばかり、ほとんど気づかないほどだが、それでもまぎれもなく対象のそばを素通りしているのだった。見られているほうでは、それにひどくこころを乱された。( 279 頁)
こんな視線のもちぬしに出会ったら、たえられないだろうな。
『近代日本の批評・
明治・大正篇(福武書店)柄谷行人編。
柄谷 語尾の「た」に関して言うと、「た」を使うようになると、三人称になって、語り手が消える。ところが、漱石は「た」を拒否している。現在形でやっている。( 75 頁)
このメモ、書き始めたころは現在形で書こうと思ってた。
柄谷 江戸時代もそうです。江戸の経済の中心は、十八世紀後半に大阪から江戸に移る。岩井克人が言っているように、貨幣そのものが、大阪の銀から江戸の金に比重が移る。大阪の銀貨は国際的な信用に基づいているけど、江戸のは幕府というか、国家にしか基づいていない。これは、大阪と江戸の町人・プルジョワジーの決定的な差異と対応している。大阪のブルジョワジーは、その普遍性を何とか実現しようとしてきた。伊藤仁斎以来の学問も、文学芸能も皆そうです。それは、十九世紀においても続いていて、福沢諭吉なんかもそういうところから出ている。( 80 頁)
福沢諭吉は緒方洪庵の適塾出身だっけ。
この観点から見ると、江戸の商人はまったく幕府に依存している。江戸文化なるものは、闘争を放棄するどころか、もともと幕府に依存している。要するに、江戸文化は、大阪的なモダニティを否定したから、一種ポストモダンに見える。現在もそうです。
( 81 頁)
粋とか。
柄谷 観念上の過激性というのは、それ自体何かを生み出すことはたしかだけど、実際にはごくありふれたことが全然実現できない。( 86 頁)
キリーロフを思いだす。
ビール 2 リットルと麦焼酎「いいちこ」の梅割り 7 杯と睡眠薬。
02/02 mon
『 GOOD MUSIC 』 KICK THE CAN CREW
ケツメイシはからだが受けつけないんだけど、キックは聞ける。
『近代日本の批評・
明治・大正篇(福武書店)柄谷行人編。
柄谷 トランセンデンタリズムは、人格神あるいは他者としての神を否定するものですから、いわば自己内面の絶対化です。他者性、歴史性、政治性の消去です。( 53 頁)
エマソンとか、読んでないな。
読みたいとも思わない。
『量子の謎を解く』 F ・ A ウルフ 中村誠太郎訳(講談社ブルーバックス)。
心はいたるところにあるように思える。それは原子、分子、ニューロン、細胞、組織、筋肉、骨、器官など、いろいろなレベルで観測を行っている。( 336 頁)
それら個々の心は、独立して働く原子の心の無意識のプールをつくり上げた。( 335 頁)
心は遍在するという見かたには同感。
ただ、無意識に関しての叙述は、明快すぎて疑問がのこる。
テレビを見ながらビール 2.5 リットルと睡眠薬。
02/01 sun
馬券は 1 戦 1 勝で 48 万 2 千円のプラス。
オッズからすると、もっと買っとくべきだったレース。
ちょっと後悔。
『ハートビート』 GOING UNDER GROUND
「ねえ、こういうの好きでしょ ? 」っていいながら擦り寄ってくるかのような気持ち悪さはずいぶん消えた感じ。
でもやっぱり、このバンドに対してはどっかで嫌悪感がのこる。
「リバーズエッジ」なんて曲名を平気でつけたりするんだもの。
『城』カフカ 前田敬作訳(新潮文庫)。
ぼくを待ちうけているのは幻滅ばかりで、その幻滅をつぎつぎに最後の一滴にいたるまで飲みほさなくてはならないというような予感がするのだ。( 236 頁)
競馬でちょっとでも儲かった日は、こういう気持ちになる。
『量子の謎を解く』 F ・ A ウルフ 中村誠太郎訳(講談社ブルーバックス)。
ビッグ・クイッフのうちの私に属する小部分は不確定性をもち、不確定性原理にしたがうようにみえるが、実在のすべてはフローしている。このような解釈からわかることは、数学的形式が数学的形式の解釈を決定できるということである。( 305 頁)
この正直な告白には共感してしまう。
脱け出したいとも思うけれども。
平行宇宙なんて概念はおもしろくもなんともないし。
私はただ、実在は全体として完全に決定論的だということに心の安らぎを得たことを認めねばならない。( 305 頁)
でも、つぎのようなことには疑問がわくのも事実。
分子の三角形が門と相互作用したあと、門の状態は二重になる。つまり門は、開いていると同時に閉じている状態となる。再び、これは例の猫が放射性原子と相互作用を行ったあとで生じる状況と完全に類似している。つまり、門のクイッフは二重の状態になっている。( 322 頁)
すでにお気づきのように、量子力学はわれわれが生きていくためには必要なものである。不確定性から、自由が生まれる。不確定な原子から、自由意志が生まれる。( 327 頁)
決定論的な「世界」を望みつつも自由な「実存」をもとめるという、この欺瞞。
著者自身がそれを意識しつつ書いてるから、まだ救われるんだけれども。
テレビを見ながらビール 2 リットルと麦焼酎「いいちこ」の梅割り 5 杯と睡眠薬。