08/31 sun
昼寝。
で、寝過ごして馬券は買わず。
『平家物語 1 』市子貞次校注・訳(小学館)「巻第三」、読了。
その夜神明法楽のために、琵琶ひき朗詠し給うに、所もとより無智の境なれば、情を知れる者なし。邑老、村女、漁人、野叟、首をうなたれ、耳を峙つといへども、更に清濁をわかち、呂律を知る事なし。されども瓠巴琴を弾ぜしかば、魚鱗踊りほどばしる。虞公歌を発せしかば、梁塵うごきうごく。物の妙を究むる時には、自然に感を催す理なれば、諸人身の毛よだって、満座奇異の思をなす。( 248 頁)
こういうところは批評的に読まずに、ただ美しさを楽しんでおこうっと。
世界陸上の女子マラソンでビール 2.5 リットルと睡眠薬。
08/30 sat
法事。
ビールいっぱい。
馬券は買わず。
ドラマみてたら市川実日子ちゃんが料理をしてるシーンがあった。
やっぱりいいなあ、実日子ちゃん。
このドラマ、来週からは毎回みようっと。
世界陸上の男子マラソンでビール 2.5 リットル。
08/29 fri
『フロイト著作集 1 』懸田克躬・高橋義孝訳(人文書院)、読了。
ロシアのボルシェヴィズムに具体化された理論的マルクス主義は、今や一つの世界観としてのエネルギーとまとまりと排他性を獲得したのですが、しかし同時にまた自分が戦っている相手との不気味なほどの類似性をも帯びるに至ったのです。( 534 頁)
フロイトがこの時期すでにマルクスとマルクス主義とを分けて考えていることに注意。
そして、理論的マルクス主義が宗教と類似してしまっていることを指摘し、
おそらく未来は、この実験が時期尚早であったことや、社会秩序の徹底的変化はさまざまの新しい発見によってわれわれの自然支配力が高められ、ひいてはわれわれの欲求の充足が容易になるいのでない限り、成功の見通しはあまりないということを示すでしょう。上記のような段階に至った時に初めて、新しい社会秩序というものが大衆の物質的欠乏を放逐するばかりでなく、また個人の文化的要求も聞き届けるようになるということが可能になってくるのかもしれません。むろんそういう段階に立ち至ってもまだわれわれは、どのような種類の社会的共同体にも付いてまわる人間本性の制御のしにくさから生ずるもろもろの困難と、予想もできないほど長く戦わなくてはならないでしょう。( 534 頁)
と書くとき、マルクスのあの「宗教は民衆のアヘンである」という言葉を思い起こさせる。
『坂口安吾全集 14 』(ちくま文庫)所収「今日の感想」「剣術の極意を語る」「青春論」、読了。
僕は結婚ということに決して特別の考えを持ってはおらず、こだわった考え方もしてはおらず、自然に結婚するような事情が起こればいつでも自然に結婚してしまうつもりなのである。けれども、それで僕の一生に区切りが出来るであろうか。多分区切りは出来ないと思うし、かりに区切りが出来たとしても、その区切りによって僕の生活が真実立派になるということは決してないと考える。僕は愚かだけれども、その愚かさは結婚に関係のない事情にもとづくものである。( 375 頁)
結婚したり子供ができたりすることですら区切りにならない。
きっとそういう人生は、茫漠としてやりきれないものだろう。
というか、やりきれない。
ボクの人生の 3 分の 2 くらいは過ぎたと思うんだけど、この先において区切りなんてあるんかな。
ビール 2 リットルと睡眠薬。
08/28 thu
『フロイト著作集 1 』懸田克躬・高橋義孝訳(人文書院)
もし教育が最善の道を見出して、その課題を理想的な仕方で解決するならば、教育によって、罹患の原因中の一因子、すなわち偶然の幼児期外傷の影響は消し去られるということも考えられます。が、もう一方の因子、つまり頑固な欲動体質の力は教育によっては決して取り除かれないのです。( 508 頁)
攻撃欲動は消すことができない。
このことは人生の経験のなかで、いつか知ったことのような気がする。
中学時代か、小学時代が、あるいはもっと幼年期だったのかは漠然として分からないけれども。
『闘争のエチカ』蓮實重彦・柄谷行人著(河出書房新社)
柄谷 そうです。だから僕がさっきから言っている「階級闘争」もその辺に生じている。たとえば、いちばん反動的なのは国立大学ですね。外国人の教師をぜんぜん入れていない。珍しいということで話題になるくらいでしょう。こんな馬鹿げた国際都市はないですね。東京大学の外国人というのは、どのくらいいるんですか。
蓮實 外国人教師というのは、たくさんいますよ。しかし外国人の講座担当の教授というのは、駒場だったら国際関係論に一人。二年契約でね。
柄谷 そんなものでしょう。これは爆撃の対象になりますね。ソ連から教授くらい呼んでいないと(笑)。
語学教師は、全部ネイティブにやらせるとか、そういう改革をやるべきだと思っているんだけれども、そうすると、どう考えても農協とか、それと同じ種類の反対運動がおこると思うんですね。だから僕は、階級闘争になるだろうと言っているわけですけれどね。( 128 頁)
これは 1988 年に出版された本。
その後、蓮實重彦が学長だったあいだに東京大学のこういう状況って変わったんだろうか。
「階級闘争」というのは、旧来的な価値観にしがみついて生きようとする人間との闘いである、とするなら終わることはありえない。
牛角でビール 2 リットル。
姪っ子が泊まりに来たので、寝付くまでいっしょに遊ぶ。
眠りに落ちる直前まで目を開けているのは、不安だからかな。
ボクが寝付ける直前まで飲んでるのと、本質は変わらないような。
ビール 0.5 リットルと睡眠薬。
08/27 wed
『フロイト著作集 1 』懸田克躬・高橋義孝訳(人文書院)
どれほどの根源的な破壊欲動がなお内部に残留しているかしれませんが、われわれの知覚にそれが捉えられるのは次の二つの条件のもとにおいてだけらしいのです。すなわちそれがエロス的欲動と結びついてマゾヒズムになる場合か、またはそれが攻撃として――大なり小なりのエロス的な付加物をともなって――外界に向う場合です。ところで攻撃は現実的障害にぶつかるがゆえに、外界では充足を見出すことはできないという可能性の持つ意義を無視することはできません。そうなると攻撃は後退し、内部ではたらく自己破壊の程度を増大させるでしょう。( 472 頁)
外界(他人や物)に対して攻撃的になるか、さもなければ自己破壊的になるか。
人間にはどちらかの道しかないらしい。
破壊欲動は(人それぞれ量的なちがいがあるとはいえ)、消せない。
漱石にもこういう認識があったような気がする。
『坂口安吾全集 14 』(ちくま文庫)所収「文芸時評」「甘口辛口」「大井広介という男」、読了。
『 W ・ A ・ モーツァルト ピアノ・ソナタ 15 番・ 16 番・ 17 番・ 18 番 幻想曲』グレン・グールド(ピアノ)
これらでビール 1.5 リットルと睡眠薬。
08/26 tue
『闘争のエチカ』蓮實重彦・柄谷行人著(河出書房新社)
蓮實 それは映画の形式と構造の問題に、どうしても帰着するというところがあると思う。だから小津はシンガポールでオーソン・ウェルズを見て、たちまちわかっちゃうわけですよ、アメリカ人の誰よりも。それは、自分との類似が発見できたとか、逆に、自分とはまったく異質の存在だから惹かれたとかそんな話ではない。そんな相対的な差異の比較を許さないものが、肯定させちゃうんです。
柄谷 そうですね。漱石なら、それは形式の普遍性と言うところですね。つまり、小津の場合でも、素材は普遍的なんじゃないんで、いわば素材の関係が普遍的なんですね。
( 113 頁)
映画のことはなにも知らないんだけど、小津について「素材の関係が普遍的」と言われるとポンと手を叩きたくなっちゃう。
たとえば家族という「素材の関係」をとってみてもそんな感じを受けるから。
そういえば、ヴェンダースが「東京物語」へのオマージュとなるような作品を撮ってたと思うんだけど、あれはなんだったっけかな。
…と思って検索してみたら「東京画」だった。
『フロイト著作集 1 』懸田克躬・高橋義孝訳(人文書院)
『坂口安吾と中上健次』柄谷行人(太田出版)所収「『日本文化私観』論」
『 W ・ A ・ モーツァルト ピアノ・ソナタ 15 番・ 16 番・ 17 番・ 18 番 幻想曲』グレン・グールド(ピアノ)
これらでビール 2 リットルと睡眠薬。
08/25 mon
『フロイト著作集 1 』懸田克躬・高橋義孝訳(人文書院)
そういう次第で子供の超自我は、もともと両親を模範として築き上げられるのではなく、むしろ両親の超自我を模範として築き上げられるのです。超自我は同一の内容で充たされ、伝統の担い手になるのです。( 441 頁)
いわゆる唯物史観は、この因子を過小評価する点でたしかに誤ちを犯しているのです。唯物史観は人間の「イデオロギー」は可動的な経済的諸関係の所産ないしは上部構造にほかならないと言って、この因子を排除してしまいます。それは真理ではありますが、しかし恐らく真理の全体ではありますまい。人類は決して現在にばかり生きてはいないのです。超自我のイデオロギーの中には過去が、種族および民族の伝統が生き続けているのです。この伝統は現代の影響や新しい変化にはただ緩慢にしか譲歩しないのであり、伝統が超自我を通じて働き続けて行くかぎり、それは人間生活において経済関係に左右されない強力な役割を演じるのです。( 441 頁)
ここについては両価的な感情を持ってしまう。
「ポストモダン時代に生きる人間は」なんて書かれるとそんなこと簡単に言うなよと思うほうなので、「現代の影響や新しい変化にはただ緩慢にしか譲歩しないのであ」ると言ってくれてると、ウンウンとうなずいちゃう。
だけど、「種族および民族の伝統が生き続けているのです。」というところには妙な抵抗を感じる。
それはそうなんだろうけれども。
『闘争のエチカ』蓮實重彦・柄谷行人著(河出書房新社)
柄谷 ここで、僕は中上健次と三島由紀夫を比較したいんですが、彼らは『旧約聖書』とホメロスと同様に、対照的です。三島の文章は、視覚的にリアリスティックだけど、風呂屋のペンキ絵のようにスタティックです。そして、彼の人物たちは、物語にふさわしい身分の者です。ところが、中上の文章は、視覚的ではないし、文のつながりも因果的にはっきりしない。ただ、そこに一種の「遠近法」があって、それが彼の文章を、動的で重層的なものにしている。( 98 頁)
弟を殺す場面。
息苦しいくらい濃密な空気のなかでの秋幸の動き。
いまでもあれを読んだときの身体感覚が残っている。
『 W ・ A ・ モーツァルト ピアノ・ソナタ 15 番・ 16 番・ 17 番・ 18 番 幻想曲』グレン・グールド(ピアノ)
これらでビール 1.5 リットル麦焼酎「いいちこ」の梅割り 4 杯と睡眠薬。
08/24 sun
競馬は 2 戦 1 勝で 3 万 9 千円のプラス。
『フロイト著作集 1 』懸田克躬・高橋義孝訳(人文書院)
近所の BOOK OFF でマルクス = エンゲルス全集が 1 冊 1000 円で売られてた。
しかも 1992 年刷の美品。
ぜったい読んでないだろっていうような。
買うべきかどうか大いに迷う。
1 冊だけ欠けてるのが問題。
あと、これいじょう本を増やすと怒られるというのもあって、けっきょく買わずに店を出た。
次に行ったとき、売れちゃってたらショックなんだろうなぁ。
『坂口安吾と中上健次』柄谷行人(太田出版)所収「『日本文化私観』論」
フロイトは、芸術的活動を子供の遊びと類比した上で、「遊びの反対物は真剣ではない――現実である」といっている。これはひとをぎくりとさせる逆説である。こういう省察はけっして心理学からでてくるものではない。むしろフロイトの精神分析を生んだものこそ、この逆説なのだ。( 16 頁)
なにかカフカを思わせる。
『覚悟のススメ 1 』山口貴由
覚悟は初期のころのほうがかっこええ。
これらでビール 2 リットルと麦焼酎「いいちこ」の梅割り 4 杯と睡眠薬。
08/23 sat
暑さで明け方 4 時ごろに目が覚める。
『闘争のエチカ』蓮實重彦・柄谷行人著(河出書房新社)
柄谷行人がヴィム・ヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』について書いた序文から。
天使ダミエルは、人間になろうとします。それは、天使たることの放棄であり、有限で一回的な世界に生きることです。他者(女)を愛したとき、天使は人間になる。つまり、人間になるとは、他者を見出すことです。そのとたんに、彼は前方が見えない世界のなかで生きはじめる。それはいわば「暗闇の中での跳躍」です。
( 10 頁)
また小沢健二を思い出した。
天使 (Flipper's Guiter) であった彼は他者を見出して人間になり『 LIFE 』に始まるすばらしい作品を作った。
ただ、彼だけにかぎらず問題なのは「他者性」というものが永遠に保証されるものではないということだ。
共通の共同性に属するようになったとき、他者は他者でなくなる。
小沢もまた、すこしずつ他者が見えなくなっていき、それに気付いた彼は新たな他者を意識的に見出そうとした。
それがジャズ。
しかし、意識的に見出した他者は本当の意味での他者にはなりえないし、そもそも現在の日本のジャズに他者性なんてない。
それから小沢の迷走がはじまる。
あれ以後も良い曲はあるけれど、『 LIFE 』のころのような圧倒的な現実感はなくなってしまった。
でも、もういちど小沢が「他者」に出会うときがあるはずだと信じたい。
なんてことを考えながらビール 1 リットルと麦焼酎「いいちこ」の梅割り 5 杯と睡眠薬で朝寝。
馬券は買わず。
『闘争のエチカ』蓮實重彦・柄谷行人著(河出書房新社)
蓮實 やれ、日本の猿は西洋の猿と違う、やれ日本人の脳は西欧人の脳と違う、やれ牧畜民族は農耕民族と違うというホラ話も、結局は、見えないはずの差異をイメージとして抽象的に可視化して、虚構としての内部と外部を捏造してそれに安住するという話でしょう。つまり、内部と外部の境界線があるとの錯覚に固執することでかろうじてありえない主体を確立し、その主体を肯定するという堂々めぐりが始まる。
( 55 頁)
高校のころ今西錦司を読んでみたことがあったな、そういえば。
面白かったように思うけど、いま読むとどうなんだろ。
ビール 1.5 リットルと睡眠薬。
08/22 fri
『東京』サニーデイサービス
ぼくらがずいぶんと聴いたレコードの話とか
忘れてしまったのなら思い出さなくていいよ
「いろんなことに夢中になったり飽きたり」
きのう曽我部がスカパーでこのアルバムについて話していたので。
この一節は、いつもくる。
『フロイト著作集 1 』懸田克躬・高橋義孝訳(人文書院)
『坂口安吾全集 14 』(ちくま文庫)所収「日本文化私観」「外来語是非」読了。
京都や奈良の古い寺がみんな焼けても、日本の伝統は微動もしない。日本の建築すら、微動もしない。必要ならば、新らたに造ればいいのである。バラックで、結構だ。( 375 頁)
日本語なんてどれだけ乱れてしまってもかまわない。
それが意思疎通にすこしでも益するかぎりにおいて、どれだけ崩れた言葉使いが生まれようがそれが日本語だ。
「美しい日本語」なんていってる奴はクソクラエ。
ビール 1 リットルと麦焼酎「いいちこ」の梅割り 6 杯と睡眠薬。
08/21 thu
予定どおりすばらしいまでの二日酔い。
『フロイト著作集 1 』懸田克躬・高橋義孝訳(人文書院)
症状を解消させるには、症状の発生したところまでさかのぼり、症状を生ぜしめた葛藤をよみがえらせ、当時は自由に使えなかったそういう欲動の力の助けをかりて、葛藤を別の結末にもって行く必要があります。このような抑圧過程の吟味が、抑圧を招くにいたった諸過程の記憶の痕跡にたよって行われても、それは部分的にしか成功しません。この作業の決定的な部分は、患者の医師に対する関係、すなわち「感情転移」の中で、昔の葛藤の新版をつくりあげることによって成しとげられるのです。( 375 頁)
ここを読むと「自己分析」によって抑圧を排除することには一定の限界があることが分かる。
「感情転移」というものが、やはり必要なのだ。
あくまでも治療上の一段階として。
われわれは最初から古い疾患のこの新版を追究してきたのです。われわれはそれが発生し、発展するさまをみてきました。この神経症の様子には、とくによく通じているわけなのです。なぜならわれわれ自身が対象としてその中心に立っているからです。( 367 頁)
そしてこの「感情転移」が消失したとき、治療が完了する。
われわれは患者に対して、君の感情は現在の状況から生じたものでもなければ、医師の人格に当てはまるものでもなく、君の心の中にかつて起ったことの反復であるにすぎないということを教えて、こういう感情転移を克服するのです。( 366 頁)
『坂口安吾全集 14 』(ちくま文庫)所収「文学のふるさと」「中村地平著『長耳国漂流記』」「ラムネ氏のこと」「日本の詩人」「新作いろは加留多」「文章のカラダマ」「ただの文学」、読了。
それならば、生存の孤独とか、我々のふるさとというものは、このようにむごたらしく、救いのないものでありましょうか。私は、いかにも、そのように、むごたらしく、救いのないものだと思います。( 330 頁)
救いのなさ。
安吾はそこに、文学の、人間の、「ふるさと」を見出している。
文学のモラルも、その社会性も、このふるさとの上に生育したものでなければ、私は決して信用しない。( 331 頁)
これは有名な文章だけれど、安吾が次のように書いていることにも注意しなければならない。
アモラルな、この突き放した物語だけが文学というのではありません。否、私はむしろ、このような物語を、それほど高く評価しません。なぜなら、ふるさとは我々のゆりかごではあるけれども、大人の仕事は、決してふるさとへ帰ることではないから。……( 331 頁)
ここで安吾が「大人の仕事」というとき、ドストエフスキーのことを思い浮かべていたんだと思う。
ビール 1 リットルと麦焼酎「いいちこ」の梅割り 6 杯と睡眠薬。
08/20 wed
『フロイト著作集 1 』懸田克躬・高橋義孝訳(人文書院)
早発性痴呆の場合には、リビドーはふたたび対象にもどろうと努める、すなわち対象の表象を得ようと努めるうちに、実際に対象について何かをとらえるのですが、ただしかし、それは対象の影にすぎません。私はそれを対象に所属する言語観念と考えます。( 347 頁)
ここはものすごく難解。
ナルシシズム神経症のこのあたりの事情をフロイトは克服できない「高い壁」と呼んでいるけれども、それは感情転移神経症の克服を優先したから。
全集をひととおり読み直したあとで、この箇所についてもういちど考えよう。
ひさしぶり(でもないけど)に料理をしたのでパシャリ。
鶏肉のトマトソース煮込み。
あと、実家に帰ったときのみやげのぶどう。
風邪も治ったので、東京に行ったときにイザさんに頂いたウォッカの栓を開けた。
ひさしぶりのウォッカだったけど、さっぱりしててこれがまた旨い。
氷点下にキンキンに冷やして飲むと、ぶどうとよく合う。
アルコール度数も忘れてグビグビやっちった。
あしたはぜったい二日酔い。
ひさしぶりにテレビを見てたら、犬が死ぬシーンを見てしまった。
『坂口安吾全集 14 』(ちくま文庫)所収「作家論について」、読了。
睡眠薬を飲んで就寝。
08/19 tue
『初恋に捧ぐ』初恋の嵐
『フロイト著作集 1 』懸田克躬・高橋義孝訳(人文書院)
「かまいたちの夜 2 」のプレイの相伴。
1 回目でベストエンディングに辿りつきくさった。
『坂口安吾全集 14 』(ちくま文庫)所収「日本の山と文学」「文字と速力と文学」「死と鼻歌」、読了。
それらを読みながらビール 1.5 リットルと芋焼酎「黒石岳」を 1 杯と睡眠薬。
08/18 mon
二日酔い。
胃が苦しい。
ので、ショック療法として朝ごはんを 3 杯食べた。
朝風呂。
湧き口に升がおいてあったので、温泉の湯を飲む。
胃に良いかと思って。
塩っぱかったなー。
三段壁に千畳敷。
海へ。
白良浜の砂は本当に綺麗。
人の少ない深みへ泳いで出て、温泉でと同じくあお向けになってプカプカと。
沈みそうになったら泳いで、疲れたらまたプカプカ。
海に浮かんで太陽を見つめてると、自然とのものすごい一体感。
離人症の症状が出てるときだと、どんな感じなのかな。
逆にものすごい疎外感に襲われておぼれたりして。
とれとれ市場で美味しいものをいっぱい。
20:00 ごろ帰還。
「最強伝説 黒沢 1 」福本伸行を読みながらビール 2 リットルと睡眠薬。
08/17 sun
雨のなか、フェリーで和歌山へ。
15 時ごろ南紀白浜アドベンチャーワールドに到着。
ライオンの赤ちゃんを抱いたり、アザラシやイルカをなでたり、ネコ科の肉食獣を間近でたくさん見たりと大満足。
デジカメの予備バッテリを持って入るのを忘れて写真を取れなかったのだけは残念だったけど。
競馬は 3 戦全敗で 4 万円のマイナス。
旅館についたのは 19 時ごろ。
おいしい料理でビールをガブガブ飲んで温泉へ。
あお向けになって鼻と口だけを湯面から出してプカプカ浮いてると自分がお湯になったみたいで気持ちいいー。
極楽だなー。
と思うのだけど、まわりから見ると死んでるように見えて不気味だったみたい。
温泉から上がってまたビール。
で、また温泉。
で、またビール。
睡眠薬も飲んで、倒れこむように就寝。
08/16 sat
競馬は 3 戦全敗で 3 万円のマイナス。
『坂口安吾全集 14 』(ちくま文庫)所収「長編小説時評」「茶番に寄せて」「市井閑談」、読了。
それゆえ、笑いの高さ深さとは、笑いの直前まで、合理精神が不合理を合理化しようとしてどこまで努力してきたか、そうして、到頭、どの点で兜を脱いで投げ出してしまったかという程度による。( 287 頁)
「 FARCE 」「道化」「笑い」などという安吾の言葉を考えるときに最も注意しなければならないのはこういうところだ。
合理化(意味化)に憑かれてることを自覚せずそれを突き詰めようともしない人間が「不合理」なんて言い出したって底が浅いと知れている。
道化はいつもその一歩手前のところまでは笑っていない。そこまでは合理の国で悪戦苦闘していたのである。突然ほうりだしたのだ。もしゃくしゃして、原料のまま、不合理を突きだしたのである。
道化は昨日は笑っていない。そうして、明日は笑っていない。( 287 頁)
『 W ・ A ・ モーツァルト ピアノ・ソナタ 15 番・ 16 番・ 17 番・ 18 番 幻想曲』グレン・グールド(ピアノ)
これらでビール 2.5 リットルと睡眠薬。
08/15 fri
起きてすぐ「起動戦士ガンダム 連邦 VS. ジオン DX 」をプレイ。
「哀 戦士」を歌いまくりながら。
昼前からビール 1 リットルと麦焼酎「いいちこ」の梅割り 4 杯。
『坂口安吾全集 14 』(ちくま文庫)所収「一家言を排す」「フロオベエル雑感」、読了。
私は文学の本質的な価値に於ては全くフロオベエルを愛していない。然し近代的な心理解剖や観察法の分りよい正確な教科書、入門書としては、この人の書物に越すものは少ないと思える。この伝統なくしては恐らくラヂィゲの天才も現れ得なかったのであろう。( 222 頁)
ボクもフローベールは愛していない。
だけど、あの精緻な文章を読んでいるときには、その時間が終わって欲しくないとも思う。
いつかきっちりと読むつもり。
それにしても、帰省中にろくに本を読まなかったからか、言葉がすんなり頭に入ってこない。
思考もなまるんだな。
『 W ・ A ・ モーツァルト ピアノ・ソナタ 15 番・ 16 番・ 17 番・ 18 番 幻想曲』グレン・グールド(ピアノ)
んで、昼寝。
『坂口安吾全集 14 』(ちくま文庫)所収「幽霊と文学」「日本精神」「新潟の酒」「お喋り競争」「手紙雑談」「北と南」「気候と郷愁」「本郷の並木道」「探偵の巻」「かげろう談義」、読了。
読みながらビール 2 リットルと睡眠薬。
08/14 thu
四国へ。
『図鑑』くるり
『 HARVEST 』 DRAGON ASH
『 E 』奥田民生
『俺の道』エレファントカシマシ
『 TIME TO GO 』 RIP SLYME
『 SABRINA HEAVEN 』 Thee Michel Gun Elephant
『 100s 』中村一義
『 CM2 』 Cornelius
道中まわり道をして大阪は天保山のサントリーミュージアムでディック・ブルーナ展を。
ビール飲みながら「起動戦士ガンダム 連邦 VS. ジオン DX 」をプレイ。
燃えさしてくれるなー、このゲーム。
ビール 2 リットルと睡眠薬。
08/13 wed
祖母の墓参り。
お墓に彫ってあるのを見て、祖母の名前を思い出した。
というか、忘れてたことに気付いた。
だって、呼ぶときも考えるときも思い出すときも「おばあちゃん」だもの。
ふだん遠出できない叔母も一緒だったんで、またくるくる寿司へ。
西山君似の店員さんは今日もいた。
年の離れたいとこの家でバーベキュー。
うんまい。
いとこの子(小六)と恋話なんかを。
ビールいっぱい。
08/12 tue
ジャズドリーム長島へ。
アウトレットのお店が集まったとこ。
UNITED ARROWS のアウトレットショップで KEMPEL のジャケットを買おうとしたけど、サイズが合わず。
他には欲しいもんが見つからなかったんで、なんも買わんかった。
長島スパーランドの花火が駐車場から見えるというのもあって行ったんだけど、それも天候不良で中止。
『図鑑』くるり
『 My name is Blue 』小島麻由美
『 E 』奥田民生
『 TIME TO GO 』 RIP SLYME
『 Love You 』 Cymbals
『 RESPECTS 』 Cymbals
『 HARVEST 』 DRAGON ASH
『俺の道』エレファントカシマシ
ビール 1.5 リットルと睡眠薬。
08/11 mon
父の墓参り。
お昼に入ったくるくる寿司屋の店員が初恋の嵐の西山君にちょい似てた。
競馬は出走時間を忘れてて馬券を買い逃す。
買う予定だった馬が当然のように勝って単勝 7.2 倍。
ちきしょ。
テレビを見ながらビール 3 リットル。
08/10 sun
帰省。
『図鑑』くるり
アルバムとしては、くるりではこれが 1 ばん好き。
夕暮れ前の東向日駅梅田方面行きのホームが好きだ
本当に好きだ
「チアノーゼ」
あの駅のあのホームには思い出がいろいろと。
あるはずなんだけど、もう思い出せないや。
『 HARVEST 』 DRAGON ASH
『 DAWN WORLD 』 TRICERATOPS
『恋恋風歌』つじあやの
『恋する眼鏡』つじあやの
『 OFF DYLAN 』ホフディラン
『 TIME TO GO 』 RIP SLYME
『 Tommy february
6 』 Tommy february
6
『俺の道』エレファントカシマシ
宮本、復活。
競馬は 2 戦 1 勝で 2 万 3 千円のプラス。
テレビを見ながらビール 1.5 リットルと睡眠薬。
08/09 sat
競馬は 1 戦 1 敗で 1 万円のマイナス。
テレビを見ながらビール 2.5 リットルと睡眠薬。
08/08 fri
『フロイト著作集 1 』懸田克躬・高橋義孝訳(人文書院)
競馬予想。
テレビを見ながらビール 2.5 リットルと睡眠薬。
08/07 thu
『フロイト著作集 1 』懸田克躬・高橋義孝訳(人文書院)
ある人が神経症になるのは、その人の自我がリビドーをなんらかの方法で処理する能力を失った時だけです。( 318 頁)
この観点に立つとき、リビドーの固着の増大と自我の弱まりとは「経済的」には同じ意味を持つ。
こういう関係をフロイトは「相補的系列」と呼ぶ。
『瞬間と永遠』曽我部恵一
『坂口安吾全集 14 』所収「意慾的創作文章の形式と方法」「悲願に就て」「清太は百年語るべし」「想片」「枯淡の風格を排す」「日本人について」「分裂的な感想」「作者の言分」「文章の一形式」「桜枝町その他」「流浪の追憶」「牧野さんの死」「牧野さんの祭典によせて」「現実主義者」、読了。
僕はくだらないことに嘘を書くまいとして、実はあべこべに愚劣な苦労をすることが多いのだ。この夏は一九三二年五月三日の天候に正確な事実を書こうと思って二週間くだらぬ奔走をした。事実を突きとめたら莫迦らしくなって、結局小説には嘘を書いた。( 165 頁)
笑った。
安吾のこういうところ、大好きだ。
「流浪の追憶」は安吾が自分の過去の放浪について書いた文章で、どのエピソードも笑いとともに安吾への愛が湧いてくる。
おっちょこちょいで、あまのじゃくで、でも素直だからスケールが大きい。
この文章は何回も読み返すだろうから引用はしないでおこうっと。
安吾はいつもなつかしい。
ビール 2 リットルと麦焼酎「いいちこ」の梅割り 4 杯と睡眠薬。
08/06 wed
風邪、だいぶまし。
『 TIME TO GO 』 RIP SLYME
『フロイト著作集 1 』懸田克躬・高橋義孝訳(人文書院)
『ダイアローグ
1970-1979 1 』柄谷行人所収「文学・言語・制度」。
柄谷 フロイトは、ユングに治療の現場から離れるなと忠告します。その場合、フロイトが問題にしていたのは、一人一人の患者の固有性、言い換えれば差異性であったわけで、ぼくが歴史と呼んだのはそのことです。しかし、ユング派においては全部、同一性になってしまう。
たとえば、トリックスターという概念は、どこにも当てはまる。もしかしたら、そういう種類の概念で天皇制の秘密まで解けてしまうかもしれない。しかし、いわば治療の現場から見れば、それはなんら困難を解いたことならないのです。一度捨象してしまったものは、二度と取り返すことはできない。( 124 頁)
蓮實重彦との初めての対談。
少なくともある時期までは蓮實重彦が柄谷行人にとっての「外部」であり「他者」として存在していたことがよく分かる。
ひさしぶりにテレビを見ながら夕食。
ビール 2.5 リットルと睡眠薬。
08/05 tue
まだ風邪ぎみ。
胃腸にきてる。
『 TEAM ROCK 』くるり
『 THE WOLD IS MINE 』くるり
矢野顕子さんが「ばらの花」をカバーするというので、ひさしぶりにアルバムを通しで聴いてみた。
思ってたよりいい。
ボクの中で、たとえば中村君とかサニーデイとかのアルバムが本質的に捨て曲なしなのに対して、くるりというのはその対極にあるようなバンド。
「ワンダーフォーゲル」と「ばらの花」と「 WORLD'S END SUPERNOVA 」があれば他の曲はなくてもまあいいや、っていう。
逆に言えば、それだけその 3 曲が名曲だってことなんだけれど。
今回ひさびさに通しで聴いてみて、とくに『 TEAM ROCK 』はいいと思った。
で、それは『 THE WOLD IS MINE 』より先に出たから聴いた回数が多いという単純な理由っぽい。
そういうバンドなのかな。
なんにせよ、上記 3 曲は名曲。
で、矢野版「ばらの花」に大期待。
『フロイト著作集 1 』懸田克躬・高橋義孝訳(人文書院)
神経症は性欲から生ずるのではなく、自我と性欲との間に起る葛藤にその根源があるということを、あらゆる反論に抗して精神分析は主張しているのです。ですから精神分析は、病気や実生活において性の欲動が果たす役割を追求しはしますが、自我欲動の存在あるいは意義を否定しようとする動機は全くもっていないのです。( 290 頁)
ここはすごく重要な点。
フロイトをろくに読んでもいない連中が、この事情を誤解してフロイトを攻撃するのは滑稽としかいいようがない。
東京に行ったときにイザさんに頂いたワイン。
コクのある甘さ。
イザさん自身の印象とは正反対なような、すこしだけ似ているような。
とにかく、ありがとうございます。
『坂口安吾全集 14 』所収「夏と人形」「無題」、読了。
『ダイアローグ
1970-1979 1 』柄谷行人所収「文学の現在を問う」、読了。
中上 だけど、面白かったね。ケチョンケチョンにさ、全部やっつけてやった。
柄谷 面白かったよ。そのときに中上とぼくが知り合っててさ、なんか他にこれと思うやつがいないってことが不思議だよね。
中上 ああ、ぼくら以降ね。
柄谷 前後に誰もいないって感じが、とても不思議な気がするんだよ。そんな出会いがあっていいのかどうかってね。
中上 オレもそう思うな、偶然会って。
柄谷 偶然だものね。完全に偶然だ。あのころから、君は生意気だった。
中上 いや、あんたこそ生意気だったよ。ほんとに生意気(笑)。( 164 頁)
こういう箇所をわざわざ引用しているのは、前にこの文章を読んだときに生きていた中上健次が、今はもういないからか。
柄谷 人類学者は、フロイトを批判しますよ。ユングのほうがいい、と。だけど、それは人類学者が間違っているのさ。フロイトのものすごさを知らないんだよ。
なぜ、性が核心になるか。ぼくの考えではね、とにかくまず初めに、あるズレが起こった。だから、人間はひっくり返ってできたんだろうね。意味の萌芽もそこにある。しかし、それは、「労働」ということからくるのではなく、やはり「性」からくると思うんだ。 たとえば、親と子という「世代」は、動物にはないだろう。およそ「時間」というものさえ、このズレ、ディフェランスから生じるというほかない。すでに親がある、子があるってことは、制度なんだよね。自然じゃないわけだ。まったく不自然なわけだ。すでに二二んが五なんだ。そのひっくり返りはどうして起こるかと言えば、それは、人間はなぜ人間なのかというようなものだ。構造主義は、そんなものは問わない。 <制度(文化)と自然> と言っていればすむ。しかし、フロイトは問うんだ。( 174 頁)
ボクがフロイトを読み柄谷行人を読むのは、そういう「制度」に対して泣き叫ぶのをこらえながら問い続けているからだという気がする。
「なぜボクはボクで、ここにこうしていて、あのときああしていたのか ? 」と。
こう書くとあまりにセンチメンタルに見えるし、「自分探し」と誤解もされそうだけど。
『 W ・ A ・ モーツァルト ピアノ・ソナタ 15 番・ 16 番・ 17 番・ 18 番 幻想曲』グレン・グールド(ピアノ)
これらでビール 2 リットルと睡眠薬と風邪薬。
08/04 mon
まだまだ風邪ぎみ。
ミュージックマシーンさんから T シャツ到着。
…したのは土曜だったんだけど、書くの忘れてた。
カッコイイのでヨレヨレになるまで着たおすつもり。
『ボーダーライン
青少年の心の病い』町沢静夫(丸善ライブラリー)、読了。
てにをはからして間違えまくり。
主語と目的語の扱いの取り違えもやたら目につくし、ここまで日本語に不自由な人が書いた本を読んだのはひさしぶり。
町沢静夫のことを知ったのは
見捨てられ感と、町沢静夫が治療を失敗したケースについてという WEB 上の文章から
(境界例と自己愛の障害からの回復内)。
とうぜん良い印象は持ってなかったんだけど、文章という点では想像以上のひどさ。
文章に論理的構成力がないということは、けっきょくは思考に論理的構成力がないということの端的な現われであるということを再確認。
ただ、治療者としての熱意は伝わる本ではある。
『フロイト著作集 1 』懸田克躬・高橋義孝訳(人文書院)
『坂口安吾全集 14 』所収「谷丹三の静かな小説」「神童でなかったラムボオの詩」「愉しい夢の中にて」「文章その他」「遠大なる心構え」、読了。
私は今までラムボオは神童だったに違いないと考えていたが、この詩集を読んでみると私の考えがまちがっていたことに気付いた。大人びたところがまるでない。その上、神童らしい神童の鋭さもない。だから後年やや長じて、ひとたび懐疑の真底へぶつかるや、まっさかさまに地獄へ墜落していった荒々しいのたうちが尚よく分かった気がした。( 77 頁)
神童でもなけりゃ、「大いなる平凡」でもなかったな、ボクは。
平凡なる平凡。
『世界のピアニスト』吉田秀和(新潮文庫)所収「バックハウス」、読了。
「人間年をとればとるほど、テンポ・ルバートが嫌味でセンチメンタルにきこえてくるものだ」とバックハウスはよくいったそうであるが、彼にとっては、大袈裟な身ぶりをもったセンチメンタルな表現は、たえがたいものだったらしい。( 52 頁)
そんなジジィになりたい。
『 W ・ A ・ モーツァルト ピアノ・ソナタ 11 番・ 12 番・ 13 番・ 14 番』グレン・グールド(ピアノ)
これらでビール 2.5 リットルと睡眠薬と風邪薬。
08/03 sun
よく眠れたおかげで風邪はすこしまし。
競馬は 4 戦 1 勝で 9 万円のマイナス。
花火を見に行く。
『坂口安吾全集 14 』所収「新しき性格感情」「新しき文学」「宿命の CANDIDE 」「山の貴婦人」「一人一評」「ドストエフスキーとバルザック」「長島の死」、読了。
私は、小説に於て、説明というものを好まない。行動は常に厳然たる事実であって、行動から行動への連鎖の中に人物の躍如たる面目があるのだと思っている。( 56 頁)
心理や性格を原因として行動や行為がなされるのではない。
それらは、行動や行為がなされたあとで見出されるものだ。
ビール 1 リットルと麦焼酎「いいちこ」の梅割り 3 杯と睡眠薬 2 錠と風邪薬。
08/02 sat
発熱・せき。
薬きいてないなー。
3 時間くらいしか眠れずに目が覚めたので、明け方 4 時から競馬予想。
予想が終わって更新作業をして、
『坂口安吾全集 14 』(ちくま文庫)所収「ピエロ伝道者」「 FARCE に就て」、読了。
つまり全的に人間存在を肯定しようとすることは、結局、途方もない混沌を、途方もない矛盾の玉を、グイとばかりに呑みほすことになるのだが、しかし決して矛盾を解決することにはならない、人間ありのままの混沌を永遠に肯定しつづけて止まない所の根気の程を、呆れ果てたる根気の程を、白熱し、一人熱狂して持ちつづけるだけのことである。
( 27 頁)
けっきょく倫理的であることに、ボクの読書の主題は向く。
それにしても、ここで安吾が「根気」という言葉を使ってるのは面白い。
白熱し熱狂して「根気」を持つって表現は核心を突いてると思う。
『 W ・ A ・ モーツァルト ピアノ・ソナタ 11 番・ 12 番・ 13 番・ 14 番』グレン・グールド(ピアノ)
これらで麦焼酎「いいちこ」の梅割り 4 杯と睡眠薬と風邪薬で朝寝。
買い物に出たけど、熱でふらついてしょうがない。
競馬は 4 戦全敗で 7 万 5 千円のマイナス。
ビール 1 リットルと麦焼酎「いいちこ」の梅割りと睡眠薬と風邪薬で就寝。
08/01 fri
風邪をこじらせてダウン。
朝から車で風邪薬を買いに行く。
ついでに春蔵に教えてもらったダイソーの百円均一のビタミンのサプリメントも買う。
安いなー。
『 Greatest 1997-2001 』 Triceratops
さいきん車んなかではトライセラばっか。
和田君の声、さいこう。
で、帰ってきてグールドのモーツァルトを聴きながら吉田秀和の『世界のピアニスト』をひろい読みしてたら、表紙が和田誠だった。
んで、部屋にあった雑誌に「平野レミさんの夏のアイデア麺 & どんぶり」って記事が載ってた。
だからどうしたってわけでもないけど。
『世界のピアニスト』吉田秀和(新潮文庫)
バックハウスの演奏をきいて、ふだん僕たちがききなれたものと、少しでも変わっているときこえたものがあったら、もう一度譜面をとって、調べてみるとよいのです。たとえば彼のひくブラームスの晩年の小品、あるいはベートーベンのソナタ、譜面をみればはっきりします。彼は、いつも正しい。ある個所がおそすぎると感じられたら、必ず譜面がそれを要求しているのだし、逆に速いときもそうです。あるフレーズがつぎのものにつづくとき、ほかの人ならごく短い切れ目を入れるのに、なぜ彼は入れないか。譜面を見ればよい。譜面には、そのフレーズの切れ目が書いてない。ピアノと書いてあるのは、あくまで小さくひくのであって、弱くするのでも、おそくするのでもない……。( 64 頁)
『 W ・ A ・ モーツァルト ピアノ・ソナタ 15 番・ 16 番・ 17 番・ 18 番 幻想曲』グレン・グールド(ピアノ)
グールドのモーツァルトは本当にすごくて、さいきんは部屋ではこれ以外の音楽は聴いてないくらい。
むかし、 RC のチャボがジミヘンについて、
「昔はジミー・ペイジとかジェフ・ベックとかとくらべて考えてたけど、最近それが間違ってたことに気付いたんだよね。ジミヘンは他のギタリストとは違う場所にいるんだって分かった」
みたいなことをどっかで話してたけど、グールドというのも他のピアニストとはぜんぜん違う場所にいるんだと思う。
『世界のピアニスト』吉田秀和(新潮文庫)
そのとき、彼のバッハをきいて、ソ連きっての名教師の一人、ノイガウスが、「グールドは、私は断言するけれども、単なるピアニストではなくて、一つのフェノメノンである」といったという話を読むと( 224 頁)
だからこそグールドのモーツァルトは、もっと別のピアニスト(たとえばバックハウス)のモーツァルトを聴きこんでから聴きたかったという気持ちもある。
ていうか、譜面を読めない人間がクラシック音楽について書くのは無謀だな。
『坂口安吾全集 03 』(ちくま文庫)所収「禅僧」「不可解な失恋について」、読了。
これらでビール 1 リットルと麦焼酎「いいちこ」の梅割りと風邪薬と睡眠薬とビタミン剤を飲んで昼寝。
『倫理 21 』柄谷行人(平凡社)、読了。
「自由であれ」という命令は過酷である。( 206 頁)
心情的にじゃなく理論的に、コミュニズムというものが分かりかけてきた。
『ダイアローグ
1970-1979 1 』柄谷行人所収「小林秀雄を超えて」、読了。
柄谷 わかる。たとえば、メタファーというものがあるけどね。一般的にメタファーは、何か違うものをくっつけることだとか言われているけれども、メタファーはいわば出来事なんだ。文あるいは言述の中でしか、メタファーはない。それは出来事としてある。新たな意味が、そこでだけ偶然的に創造されているわけだ。ところが、それはいずれ意味になる。つまりコードになり、制度になる。
書くということは、すでにあるコードと新しいコードの真ん中にある破壊的な行為であり、出来事なんだよね。その出来事は、すぐコードになりますよ。だから、そのコード化を物語〔イストワール〕(歴史)と呼ぶとしたら、とにかく、それにはいつもやられてしまうのさ。
中上 だから、オレがガキに、物語を徹底的に教えこんでいるんだよ。( 381 頁)
この 2 人のあいだにあった「交通」の、そのほんのひとかけらずつでも対談という形で残っていることに感謝したい。
その「交通」は 2 人の著作の中にこそ、それとは分からない形でだとしても現われているのだと知りつつも。
『 W ・ A ・ モーツァルト ピアノ・ソナタ 11 番・ 12 番・ 13 番・ 14 番』グレン・グールド(ピアノ)
これらでビール 2 リットルと睡眠薬 2 錠と風邪薬。