
07/31 thu
二日酔い。
あと、風邪ぎみ。
X-LARGE のを 2 枚と REFCEMENT のを 1 枚で、合計 3 枚 T シャツ購入。
REFCEMENT のはめちゃ気に入ったけど、今年は T シャツを買いすぎだな。
プリント T シャツだけで 10 枚以上買ってしまった。
『 W ・ A ・ モーツァルト ピアノ・ソナタ 7 番・ 8 番・ 9 番・ 10 番』グレン・グールド(ピアノ)
『倫理 21 』柄谷行人(平凡社)
つまり、先進資本主義国家は、その「国民」の幸福のために、将来の危機において、戦争を辞さないでしょうし、「国民」の間にナショナリズムを喚起するでしょう。そのような事態を避けるために、われわれは何かをしなければならない。そうしたとしても、われわれが得をすることはないし、未来の人間から感謝されるわけでもありません。にもかかわらず、そうすべきだということは、われわれ自身の問題です。それは、未来の他者を目的として扱うということです。( 189 頁)
この本が 2000 年 2 月に出版されていたことに注意。
一つだけ念を押しておきたいのは、資本制段階からコミュニズムへの発展はけっして歴史的必然ではないということです。それはただ、「自由であれ」、「他者を手段としてのみならず、同時に目的として扱え」という、倫理的な義務からのみ生じます。歴史には意味も目的もありません。しかし、それは、実践的(倫理的)にのみあるのです。( 190 頁)
倫理的 = 実践的なんだから、頭で分かっていてもそれを実践していないなら結局のところ倫理的でないということか。
あたりまえだけど、きびしい。
『 W ・ A ・ モーツァルト ピアノ・ソナタ 11 番・ 12 番・ 13 番・ 14 番』グレン・グールド(ピアノ)
これらでビール 2.5 リットルと睡眠薬 2 錠。
07/30 wed
外飲み。
ビール 1 リットルと焼酎 3 杯。
07/29 tue
お葬式。
ビール 2 リットル。
『倫理 21 』柄谷行人(平凡社)
国際法は、その違反を制裁する装置をもっていない。カントはそれを国際連邦に求めましたが、ヘーゲルが嘲笑したように、それはただの夢想でしかなかった。しかし、カントはけっして楽天的な啓蒙家ではなくて、それが人間に固有の「非社交性」(攻撃性)を通してしか実現されないだろうという暗い見通しをもっていました。彼は、人間の本性に潜む「悪」を見ていました。それは「非社交的社交性」です。しかも、彼はたんにそれを非理性的なものとみなさなかったのです。( 133 頁)
最後の一節はとくに重要。
『 W ・ A ・ モーツァルト ピアノ・ソナタ 1 番・ 2 番・ 3 番・ 4 番・ 5 番・ 6 番「デュルニッツ」』グレン・グールド(ピアノ)
これらでビール 2 リットルと睡眠薬 2 錠
07/28 mon
お通夜。
ビール 1.5 リットル。
07/27 sun
明け方 4 時、吐き気と渇きで目が覚めた。
吐き気もかなりのもんなんだけど、喉の渇きが強烈でどうにもならない。
あわててたので飲み物を買うのを忘れてバスに乗ったんだった。
喉をかきむしりたいような感じで、ほとんど力石状態。
鉄の扉を打ち破る自分の姿が思い浮かぶ。
すべてのコックが針金で縛られたシャワールームの中、白湯の入ったコップを差し出す葉子。
受けとりはするものの、その白湯を床に捨てる俺。
「ありがとうお嬢さん、もう少しでくじけるところでした。」
なんて妄想を何回もくりかえすんだけど、時間はいっこうに経ってくれない。
何百回も白湯を捨てた 5 時すぎ、大津でようやくトイレ休憩。
全力ダッシュしてコーラを一気飲み。
うめー。
喉のかわきも癒えたので、車内で現在のじぶんの状況を整理してみる。
財布には千円札が 1 枚。
ポケットには…、小銭が 2 千 800 円ぶん入ってた !
ついついお札で買い物してしまうだらしなさがここで活きた感じ。
梅田について調べてみたら、四国までのバス料金は 3400 円。
たすかった。
きっぷ売り場の開く 6 時 50 分まで 1 時間以上待って、ようやくきっぷ購入。
小銭ジャラジャラで支払ったけど、恥ずかしがる余裕もないくらい疲れてた。
四国に着いて自転車で部屋へ帰還。
たのしい旅でした。
ビール飲みながら競馬予想。
今週もルール破りだけど、今日はもういいや。
ビール 1 リットルと睡眠薬で昼寝。
競馬は 2 戦 2 敗で 12 万円のマイナス。
テレビ見ながらビール 2 リットルと睡眠薬 2 錠。
07/26 sat
きっちり起きて競馬予想。
えむ氏とふたりでボソボソ話してても、春蔵はぐっすりおやすみ。
あれこれ言いながら 1R からふたりで検討。
こういうのが欲しくて来たようなもんだから、とうぜん楽しい。
顔も洗わないままコンビニ弁当を頬張ってたら、起きてきた春蔵に撮られた。
デジカメバトル開始。
コンビニから荷物を送って、えむ氏宅を 2 時ごろ出る。
楽しい時間は過ぎるのが早い。
ありがとう、えむ君。
今回の旅が楽しかったのは、何より君がいたからです。
ところで、タクシーで駅までついてから、ハンガーにかけておいたシャツを忘れたことに気がつく。
忘れないようにって思ってたやつなのに。
まあでも、こういう忘れものはフロイト的にいうとその場所を離れたくないという無意識の活動だからな、なんて思って心ん中で笑う。
電話したら、春蔵ももうすぐ帰るとのことなので駅で待ってシャツを受け取る。
別の電車なので、春蔵とは駅でお別れ。
仲良くしろよー。
競馬は 3 戦 1 勝で 3 万 7 千円のマイナス。
みやげを買うため電車で原宿へ。
駅前のコムサ・ストアが 70% オフのセール中。
コムサ・ボーイで姪っ子( 4 才)にバッグ、妻にポロシャツ 2 枚とソックス何枚かを。
義父と義母と義姉と義兄にはベストを。
ついでに自分にもサンダルとポロシャツとベストを。
カフェ・コムサでお菓子も。
何でも揃ってて便利だった。
安かったし。
ところが、ここで問題が発生。
それぞれプレゼント用に包装を頼んだんだけど、思った以上に時間がかかって次の待ち合わせにどうしても間に合いそうにない。
あわててたねさんに電話して、遅れそうなことを伝える。
ようやく出来上がったギフト包装の入った袋を持って原宿駅へダッシュ。
あ、でも、店員さんの仕事が遅かったとかじゃないので。
むしろ、セール品をそれぞれ別々にギフト包装してもらうという面倒な作業を、できるかぎり手早く仕上げてくれて、応対はずっと笑顔。
すごく良い感じの店員さん。
で、待ち合わせに 15 分ほど遅れて品川でたねさんと合流。
想像よりずっと若くて思いっきりびっくり。
遅れたことを謝りたおして、たねさんが探してくれてあったお店へ。
ここも綺麗でいい感じ。
料理も美味しい。
いろんなことをいっぱい話す。
たねさんは綺麗で可愛い人だなー、と。
話もすげえ盛り上がって楽しい。
ところが。
盛り上がりすぎてとんでもないことに。
帰りの夜行バスの出発時間に遅れないように時間にはじゅうぶんに気を使っていたつもりだったんだけど、店を出てバス乗り場に向かう途中で自分が乗るはずのバスとすれ違った。
こういうのってフロイト的には…なんて言ってる場合じゃない。
あわててバス乗り場に行って訊いてみたけど、四国方面へのバスはもうないとのこと。
とりあえず大阪まで乗って、朝イチのバスで四国へ帰ったらと言われる。
たしかにそれがいちばん良さそう。
良さそうなんだけど、またまた問題が。
手持ちのお金が少なくて、大阪までの切符を買うと千円しか残らない。
いつでも全財産を賭けられるようにお金はぜんぶ競馬の PAT 用の口座に入れてあって、この PAT 用の口座ってのが土曜から月曜までは入出金不可能というしろもの。
北極へだって南極へだって赤道直下にだって行ける額のお金が入ってるのに、四国へ帰るたった数千円が火曜になるまでおろせない。
クレジットカードなんてものは持ったこともない。
たねさんが心配してお金を貸そうとしてくださったけど、さすがに初対面の方にお金を借りるわけにはいかないので大感謝しつつお断りさせていただいた。
たねさんとはその場でお別れしたんだけど、もういちどお金を貸してくださろうとして走ってもどってきてくれた。
なんて親切な。
すごく嬉しかったけど、やっぱり受け取れない。
いざとなれば梅田で野宿すりゃいいやと思って梅田行きのバスに乗り込んだ。
と・こ・ろ・が。
座席に着いた瞬間、バス乗り場の構内放送でなぜか故郷の名前が呼ばれている。
ふと後ろのバスを見てみると、故郷の名前の書かれたバスが。
なんであんな小さな町へ東京からの直行便が ?
とか思ってる場合じゃない。
あれに乗りゃ、実家に帰れる。
布団で寝られる。
いま乗ってるバスを降りて、切符を払い戻してもらってあっちに乗り換えよう ! と思った瞬間にドアが閉まってバス出発。
ああ無情。
どうにでもなれ、と思って座りなおしたとたん、深い眠りに。
07/25 fri
えむ氏宅で競馬のビデオを見たり Wining Post 5 をプレイさせてもらったり競馬の話をしたり。
こういう時間が欲しかったんだよね。
えむ氏とふたり、夕方から渋谷へ。
今日は春蔵とあさぴと会うため。
ダダ降りの中、落ち合うのに苦労するも、土地勘のある春蔵の的確な指示で無事に集合。
駅の近くのビルにあるイタリア料理系の居酒屋へ。
そんなに期待せずに入った店だったけど、けっこう本格的で美味い。
4 人で近況とか色んなことを話してるうちに、あっという間に時間が。
話し足りなくて残念だったけど、楽しかった。
えむ氏の彼女の春蔵は、高校生にしか見えない可愛さ。
あさぴは関西にいた頃よりさらに綺麗になってた。
ビールを何杯か。
そのまま春蔵を拉致って一緒にえむ氏宅へ。
コンビニ弁当でビール飲んで、ボクはロフトで就寝。
07/24 thu
お互い二日酔いにもならずに起きて、えむ氏と熱帯魚と競馬の話。
イザさんと会うために、えむ氏とふたり夕方から池袋へ。
すんなり落ち合えて、イザさんおすすめの串焼き料理の店へ。
ラークっていうお酒も料理も最高。
生命を食べてるって感じ。
音楽から人生観から過去のできごとから、いろんなことをいっぱい話す。
ぜんぜん時間が足りねー。
イザさんは予想どおりの綺麗な人でした。
ラークいっぱい。
何か事故があったみたいで、出発の遅れた最終電車は初体験の密集率。
「たおれそうな人がいまーす ! 非常ボタンを押してくださーい ! 」
だとか、
「子供がいるんです ! 降ろしてくださーい ! 」
だとか、もう阿鼻叫喚。
えむ氏はと見ると、床と 30 度の角度になってどっかの人たちと折り重なってる。
助けようにも離れてしまってどうしようもない。
冥福を祈るだけ。
ようやく発車した電車の中、ふと下を見ると、となりの女の子のお尻を前のサラリーマンが触ってる。
念のためじっくり見てみたけど、やっぱり撫で回してる。
お尻を。
しかたないので腕をつねったらやめてた。
タクシーでえむ氏宅へ帰って、ビール飲んで就寝。
今日はボクが床で。
あたりまえか。
07/23 wed
深夜、車中で吐き気で目ざめる。
とんかつに焼酎という組み合わせの直後に夜行バスに乗ったのがいけなかったみたいで、ねじれられるような苦しみ。
嫌な汗がいっぱい出る。
けども、 30 分くらい煩悶してるうちに睡眠薬がまた効いたのか眠れて、起きたら吐き気はましになってた。
6 時 50 分に品川に到着。
新宿に出て荷物を預けて、歩いて渋谷に向かう。
開いてる店はほとんどないけど、知らない街を歩くのは気持ちいい。
渋谷でお茶をしながら 10 時になるのを待って、街をぶらつく。
わくわく。
東京は坂が多いな。
徳島へのみやげに Clarks で赤のサンダルを買った。
渋谷をひととおり見て、そのまま原宿へ。
通りをひとつ入るたびにいろんな店があって歩いても歩いてもぜんぶ見るのは無理、あきらめる。
またまた歩いて新宿へ。
さすがに脚が痛え。
荷物を取って、えむ氏の住む埼玉へ電車で。
どんどん田んぼが増えていく景色のなか、携帯のバッテリーが切れる。
某市到着。
駅前にただ一軒あったスーパーの中のヒャッキンで携帯の緊急充電器を買って、充電。
マクドとミスドを梯子してえむ氏の仕事が終わるのを待つ。
そのあいだに、
『白痴(上)』ドストエフスキー 木村浩訳(新潮文庫)
なんで旅先にこんな本を持ってきたのか自分でも分からん。
仕事が終わったえむ氏と落ち合って、居酒屋へ。
内装も接客も味もばつぐん。
埼玉、あなどりがたし。
近況やら競馬話やらで楽しくすごした。
ビールいっぱい。
えむ氏宅へ。
ロフト付きの 1DK は綺麗にかたづいてて、熱帯魚が泳いでるでかい水槽までありくさる。
予想とぜんぜん違うじゃんかよ。
なんて思いつつ、床で寝込んだえむ氏を尻目に布団に入ってゆっくり眠る。
07/22 tue
とんかつでビール 1 リットルと黒糖焼酎「龍宮」を飲んで自転車で出発。
夜行バスで東京へ。
07/21 mon
競馬は 4 戦 1 勝で 10 万 5 千円のマイナス。
光は見えず。
イタリアンでワイン 2 本。
デジカメを使ってみたけど、手ぶれがひどい。
07/19 sat
起きたら風邪っぽかったので、ビール 1 リットルと麦焼酎「いいちこ」 4 杯と睡眠薬と風邪薬を飲みながら、
『坂口安吾全集 04 』(ちくま文庫)所収「魔の退屈」、読了。
つまり荒君は非常に現実家のようだが、根底的には夢想児なので、平野君とて、やっぱりそうだった。俺だけは玉砕せずに手をあげて助かって帰ってくる、という、ひどく現実的な確信のようだが、戦争という全く盲目的、偶然的、でたとこ勝負の破壊性のこの強烈巨大な現実性を正当に消化していない観念的な言葉のような気がした。こっちの意思だけではどうすることも出来ない現実である。
戦争の場合だけではない。だいたいに荒君らが考えている人間への映像が甘すぎるのだと私は思う。つまり魂のデカダンスと無縁なのであり、人のことを考えるが、自分自身の魂と争うことがないのだと私は思った。先のことを考えても、本当に今の現実と争うこと、つまり現実と魂とが真実つながる関係がないのである。( 169 頁)
安吾さん、それはやっぱりむずかしいですよ。
なんて思いつつ
『 W ・ A ・ モーツァルト ピアノ・ソナタ 1 番・ 2 番・ 3 番・ 4 番・ 5 番・ 6 番「デュルニッツ」』グレン・グールド(ピアノ)
を聴いて昼寝。
すごいね、このモーツァルト。
寝てたんで馬券は買わず。
助かった。
デジカメ購入。
MINOLTA の DiMAGE Xt 。
ひさしぶりにテレビを見ながら飲んでたら、 CDTV のゲストライブに Tommy february
6 が出てた。
感動。
ビール 1 リットルと黒糖焼酎「龍宮」 4 杯と睡眠薬 2 錠。
07/18 fri
『坂口安吾全集 04 』(ちくま文庫)所収「いずこへ」、読了。
私は本当の妖婦は肉慾的ではないように思う。( 129 頁)
ボクもそう思う。
で、
私は妖婦が好きであるが、本当の妖婦は私のような男は相手にしないであろう。( 129 頁)
とも思う。
「 The Glen Gould Edition mozart: The Complete Piano Sonatas 」購入。
グールドのモーツァルトは老後の楽しみにでもとっておこうと思ってたんだけど、なぜか急に思い立って買った。
『倫理 21 』柄谷行人(平凡社)
しかし、「五十歩百歩」という相対化は、ただちに自己肯定に転化します。有名な「堕落論」で、「もっと堕ちよ」と言ったとき、安吾は絶対的境地において、すべてが等価であり、赦されると言ったのではありません。逆に、そこからこそ「モラル」がはじまるといったのです。五十歩と百歩には少なくとも五十歩の差異があり、それこそが「絶対」である。つまり、各人は選択しなければならず、それが偶然であろうと、事実性として引き受けなければならないということです。「自由」ということは、何でも選べるということを意味しない。現実にやってしまったことについて、それを「自由であれ」という義務から見ることを意味するのです。( 108 頁)
いまここに、こうして、こういう、自分があるということを「絶対」として「引き受ける」。
それだけはできていると思うけど、でもほんとのとこはどうなんだろう。
『 L ・ van ・ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 27 番・ 28 番 ・ 29 番「ハンマークラヴィーア」』ヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ)
『 L ・ van ・ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 30 番・ 31 番 ・ 32 番』ヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ)
ビール 2 リットルと麦焼酎「いいちこ」 4 杯と睡眠薬。
07/17 thu
『坂口安吾全集 04 』(ちくま文庫)所収「三十歳」、読了。
『坂口安吾全集 04 』(ちくま文庫)所収「いずこへ」
私は食うために働くという考えがないのだから、貧乏は仕方がないので、てんから諦めて自分の馬鹿らしさを眺めていた。遊ぶためなら働く。贅沢のため浪費のためなら働く。けれども私が働いてみたところでとても意にみちる贅沢豪奢はできないから、結局私は働かないだけの話で、私の生活原理は単純明快であった。( 127 頁)
食器に対する私の嫌悪は本能的なものであった。蛇を憎むと同じように食器を憎んだ。又私は家具というものも好まなかった。本すらも、私は読んでしまうと、特別必要なもの以外は売るようにした。着物も、ドテラとユカタ以外は持たなかった。持たないように「つとめた」のである。中途半端な所有慾は悲しく、みすぼらしいものだ。私はすべてを所有しなければ充ち足りぬ人間だった。( 128 頁)
安吾はやっぱりいいなぁ。
私は貧乏を意としない肉体的の思想があったので、雰囲気的な落伍者になることはなく、抒情的な落伍者気分や厭世観はなかった。( 127 頁)
くらべてもしょうがないけれども、この「肉体的の思想」を持てないところが太宰の限界で、だから太宰の文章のほとんどは「雰囲気的な落伍者」の文章でしかなく「抒情的な落伍者気分や厭世観」に寄りかかってしまうんだと思う。
要するに徹底していない。
それは甘えた子供の眼であって、文学というのは冷徹な「大人の眼」がつくるものだと最近はつくづく感じる。
ビール 0.5 リットルと黒糖焼酎「龍宮」 5 杯と睡眠薬 2 錠。
07/16 wed
『倫理 21 』柄谷行人(平凡社)でビール 2.0 リットルと芋焼酎「さつま白波」 2 杯と睡眠薬。
07/15 tue
『 L ・ van ・ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 13 番・ 14 番「月光」・ 15 番「田園」・ 16 番』ヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ)
『 L ・ van ・ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 17 番「テンペスト」・ 18 番・ 19 番・ 20 番・ 21 番「ワルトシュタイン」』ヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ)
『 L ・ van ・ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 22 番・ 23 番「熱情」・ 24 番・ 25 番「かっこう」』ヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ)
『フロイト著作集 1 』懸田克躬・高橋義孝訳(人文書院)
「自分がもっている以上のものをあたえるものは悪いやつだ」( 206 頁)
これは、理論的な問題について述べられた言葉だけど、実生活の上でも真理だと思う。
『倫理 21 』柄谷行人(平凡社)
ニーチェは『道徳の系譜学』や『善悪の彼岸』において、道徳を弱者が作り出した思想として攻撃しました。しかし、この「弱者」という言葉を誤解してはなりません。実際には、学者として失敗し梅毒で苦しんだニーチェこそ端的に「弱者」そのものなのですから。彼がいう運命愛とは、そのような人生を、他人や所与の条件のせいにはせず、あたかも自己が創り出したかのように受け入れることを意味します。それが強者であり、超人です。しかし、それは別に特別な人間ではありません。( 77 頁)
こういう態度こそが柄谷行人がいう意味での「倫理」的態度なのであって、柄谷行人自身も含めてフロイト・安吾と(昔からそうだけど)最近はとくに「倫理」的な人の本ばかり読んでいる。
「倫理」的な人には、どこかヒューモアがある。
フロイトの講義集なんて、冗談なんて言ってなくても、言ってないからこそ、ときどき笑えるところがある。
それは、すごく心地良い笑い。
『 L ・ van ・ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 22 番・ 23 番「熱情」・ 24 番・ 25 番「かっこう」』ヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ)
バッハは読書の邪魔にならないけど、ベートーヴェンは読書の邪魔になるときがある。
たぶん、感情の動きが現代人に近いせいなんだと思うけど。
バロック時代の音楽を聴いても、そのころの聴衆と同じような感動は現代人には得られない。
音楽というのは時代を超えて普遍的であることはできず、人々の精神性の変化に伴って、その頃もっていた情動は失われていくものだから。
みたいなことを坂本龍一が言ってたと思うんだけど、あれはどこでだったっけ。
それともこれはグールドとバックハウスの違いなのかな。
バックハウスは大好きなピアニストだけど、彼を聴いてるとあらためてグールドのすごさが分かる気がする。
気がするだけ、だけど。
クラシック音楽のことはぜんぜん知らないから。
これらでビール 1.5 リットルと黒糖焼酎「龍宮」 2 杯と睡眠薬。
07/14 mon
『 L ・ van ・ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 1 番・ 2 番・ 3 番・ 5 番』ヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ)
『 L ・ van ・ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 4 番・ 6 番・ 7 番・ 8 番「悲愴」』ヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ)
『 L ・ van ・ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 9 番・ 10 番・ 11 番「大ソナタ」・ 12 番「葬送行進曲」』ヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ)
『坂口安吾全集 04 』(ちくま文庫)所収「二十七歳」、読了。
君の性格はアマノジャクそのものだ、と言われた。然し、アマノジャクとは何か。ヒネクレているということの外に、アマッタレているという意味があると私は思う。( 528 頁)
素直になりたい。
『 L ・ van ・ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 9 番・ 10 番・ 11 番「大ソナタ」・ 12 番「葬送行進曲」』ヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ)
これらでビール 2 リットルと睡眠薬 2 錠。
07/13 sun
夜中 2 時半に目が覚める。
競馬の予想を終わらしてから、
『倫理 21 』柄谷行人(平凡社)
普通、自然科学における「因果性」というのは、 A であれば B ということですね。フロイトが考えている原因というのは、 B という結果があったときにのみ A という原因が見出されるということです。これは A は B を規定しない。 L ・アルチュセールはこれを「構造論的因果性」と呼びました。ある症例があったときに A という原因が見つかったとしても、 A であるならば B ということには決してならないのです。だから、原因が見つかっても、その責任は問えない。何をやっても結果的にうまくいく場合もあるし、いくら適切にやっても裏目に出る場合がある。( 43 頁)
子育てにおいて「間違い」があったとしても、それは何かが「起こってからしか」見出すことはできない。
あらゆる行為が「間違い」になりうるのだから、それを事前に防ごうとすることはかえって神経症をつくりだすことになる。
現在の日本では、宗教的教育はなされていませんが、育児や教育に関する理論はむしろ非科学的だと思います。それは、 A ならば B になると教えているからです。実際には、 A を実行しても B にならないというケースが必ず出てきます。( 43 頁)
『 L ・ van ・ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 1 番・ 2 番・ 3 番・ 5 番』ヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ)
これらでビール 1 リットルと睡眠薬を飲んで朝 6 時に寝床へ。
9 時半に起きて外出。
11 時に帰ってビールを飲みながら競馬。
酒を飲みながらは競馬をしないという、絶対的なマイ・ルールを破ってしまう。
当然のごとく 3 戦全敗で 25 万のマイナス。
土曜と合わせると、今週は 66 万のお金が溶けてった。
さすがに落ち込む。
競馬をやりながらビール 1 リットルと麦焼酎「いいちこ」のストレート 5 杯と睡眠薬を飲んだのに眠れず。
夜になってまた飲みだす。
アル中 ?
『倫理 21 』柄谷行人(平凡社)
つまり、大事なのは人が何をやっているかであって、それを自らどう考えているかではない、といったわけです。たとえば、ある人が銀行利子や株の配当で暮らしているとします。彼が主観的に平和主義者で心美しい人であっても、どこかで戦争がおこって株価が上がったときはそれを歓迎するはずです。つまり、人が「どう思っているか」は、「何をやっているか」と違ってしまうのです。( 60 頁)
自分を取り巻き、作り上げている、こういう構造を認識すること。
むずかしく、きびしいことだけど、それをしつづけないと何も始まらない。
『 L ・ van ・ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 1 番・ 2 番・ 3 番・ 5 番』ヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ)
これらでビール 2 リットルと睡眠薬 2 錠。
07/12 sat
競馬は 5 戦全敗で 41 万のマイナス。
ギャンブルだから負けはしょうがないんだけど、アホな賭けかたをして後悔。
競馬予想 TV でビール 2 リットルと睡眠薬 2 錠
07/11 fri
『坂口安吾全集 03 』(ちくま文庫)所収「二十一」、読了。
笑った。
安吾は大人だなぁ。
『 J ・ S ・バッハ パルティータ』グレン・グールド(ピアノ)
『倫理 21 』柄谷行人(平凡社)
この本をいま読み直そうと思ったのは、もちろんあの事件があったから。
しかし、アメリカ人で、子供がそういうことをやって、母親が無実の罪だと言ったときに、その親が無責任だと言う人はいない。息子が重大な罪を犯して、親がそれを弁護しようとしたら、それは当たり前だと思われて、特別変だとも、無責任だとも思われない。皆がよってたかって親を責めるということは、まずないと思います。
私は、アメリカが個人主義的な社会だからそうなのだと思っておりました。だから、日本だけでなく、韓国や中国でも日本と同じようなことが起こると思っていました。しかし、何年か前に『批評空間』(太田出版)という雑誌で或る座談会をやったときに、たまたまこのことを言ったら、在日韓国人で安宇植さんという大学の先生が出席していたのですが、その方は、私が言ったことに対して、韓国では絶対にそんなことはない、韓国では親は必ず子供を守るし、親が責められることはない、したがって親が自殺することはないと断言しました。
神戸の中学生の事件のあと、私は会議のために韓国に行っていたのですが、たまたま在日韓国人の作家柳美里のことが話題になって、柳美里はどうなのかと聞かれたので、この話をもちだしたのです。柳美里は、神戸の中学生の事件に関して強硬に発言し、親は土下座して謝れと言っていたからです。実際、両親は土下座しての謝罪を九十分間やったという。しかし、なお反省が足りないと言われている。では、どうやって反省を示すのか。死ぬしかないのです。要するに、死ねといっているのです。しかし、死ぬ必要はない。テレビカメラの前で土下座をする必要もない。
(中略)
彼女の攻撃性にはそれなりの必然があるのですが、それは日本のジャーナリズムに使われているだけです、「責任」などという言葉が最もふさわしくない日本のジャーナリズムに。連合赤軍や M 君と今度の問題を比べると、今回の事件の方に「日本的なもの」がもっと露出していると思います。「土下座しろ」とか「親の顔が見たい」とか、そんなことは昔は言わなかったから。( 20 頁)
「日本的なもの」。
日本の社会が特殊である理由として、日本では「世間」というものが異様な力を持っていることを柄谷は挙げる。
そして、きだ・みのるの『気違い部落周游紀行』における観察をヒントにして、次のような見解を述べている。
その中で印象に残っているのは、農民の間に友情というべきものがないということです。友情が存在するためには、「自己」がなければならない。しかし、その「自己」がないのです。中心は「世間」であって、それを彼らは恐れている。だから、彼らは孤立を恐れて仲むつまじく付き合いますが、ほんのうわべだけです。根本的にはエゴイスティックであるのに、「自己(エゴ)」がない。( 29 頁)
もちろんこれは 1940 年代の農村にだけ当てはまる事態ではない。
会社でも学校でも地域社会でも、あらゆる共同体で今現在でも続いている現実なのだ。
ではどうすればいいのか。
責任とは何なのか。
そういう問いにこの本はひとつの答えを出しています。
講演をもとにして話し言葉で書かれていることもあって難解なところのない本だし、今年になって平凡社ライブラリーとしても出版されたので比較的安価かつ手軽に入手できます。
すこしでも興味のある人にはぜひ読んでほしい。
あと、さっき検索していて見つけたページがあります。
コロラド高校銃乱射事件とメディア、
(下村健一ホームページ)内
このページの最後の段落もまた非常に興味深いものです。
『 J ・ S ・バッハ パルティータ』グレン・グールド(ピアノ)
これらでビール 1.5 リットル黒糖焼酎「龍宮」 3 杯と睡眠薬 2 錠。
この焼酎はめちゃうま。
30 度あるんだけど、嫌な意味でのアルコール臭さがなくて、すいすい飲めちゃう。
こんな旨い焼酎はストレートで飲まないともったいない。
07/10 thu
『狂気の歴史
- 古典主義時代における - 』ミシェル・フーコー 田村俶訳(新潮社)、読了
充実した体験でした。
こういうのも幸せと言っていいんだろうか。
≪補遺≫の「二 私の身体、この紙、この炉」というのは、デカルトの『省察』のもっとも精緻で正確な解説でもあると思います。
なんて、『省察』じたいを読んだことないのにえらそうに書いてみる。
『坂口安吾全集 10 』(ちくま文庫)所収「狂人遺書」、読了
もともと奴めは小さい時から、オレには叱られて育った奴であるから、長ずるにしたがってなんとかしてオレよりも自分の方が偉いように自ら認めようと工夫していた。そこで奴めはオレが日本で果した大きな事業というものは見ずに、オレの日常生活の小さな人間がオレの全部というようにきめこんで、それを否定して快をむさぼるようなこざかしいことを身につけた。( 568 頁)
秀次の思考を縛っているものをこう見抜き憎みつつも、その底には
実はオレに愛されたくて甘えたくて仕方がなかったのだが、あいにくオレに叱られてばかり育ったために表面オレを敵に見立てるような癖がついてしまったのだが、根は素直で、特にオレに対しては祈りたいような気持で甘えたくて仕方がない心をもってい( 570 頁)
るということもまた、秀吉は知っている。
そして、その心に泣く。
しかし、泣きつつも、やがて実子の秀頼のために、養子である秀次を殺す。
秀吉は、じぶんの心の動きそのものも、その動きを起こす自分じしんの心理的深層も知りつくしている。
しかし、それを知っていたところで、頭のなかにできた「石のようなもの」、「どうしても動かぬかたまりのようなもの」が自分の明晰さを超えて自分を動かすことに対してはどうすることもできないのだ。
こういう秀吉は「狂人」なのだろうか。
それとも逆に、誰もがそういう生の中でもがいているというべきなのだろうか。
『 J ・ S ・バッハ フランス組曲』グレン・グールド(ピアノ)
これらでビール 2.5 リットルと睡眠薬。
07/09 wed
『バガボンド 17 』井上雄彦
バカボンドって小次郎編になってからはめちゃおもろい。
友だちに電話。
あんまり緊張せずに話せた。
楽しかった。
『坂口安吾全集 10 』(ちくま文庫)所収「狂人遺書」
『 J ・ S ・バッハ イギリス組曲』グレン・グールド(ピアノ)
これらでビール 2.5 リットルと睡眠薬 2 錠。
07/08 tue
『狂気の歴史
- 古典主義時代における - 』ミシェル・フーコー 田村俶訳(新潮社)
とうとう本文を読み終わった。
第三部第五章「人間論上の円環」は、まさに圧巻。
この章からは何かを抜き書きするのはやめよう。
そして、≪補遺≫の「一 狂気、営みの不在」という、嵐のあとのような静かな文章。
ここからも部分的な引用はしないでおこう。
しばしば、そう、しばしば帰らないといけない場所なのだから。
あとはデリダによる批判に対する反論となる「二 私の身体、この紙、この炉」という文章を残すだけ。
『ダイアローグ
1970-1979 1 』柄谷行人所収「小林秀雄を超えて」
中上健次との対談。
中上 どう見たって秋成のほうが面白いんですよ。というのは本居宣長が排した「漢意(からごころ)」というものを、上田秋成は持っている。「漢意」、それがマクルスの言う交通という部分だ、と思うんですよ。認識の磁場における交通だと思う。
小林秀雄には、「漢意」を排するという本居の考えがちょうどよかったのかもしれない。小林秀雄には、それは単なる「様々なる意匠」かもしれんけれども、ところが、それがこの人を表してもいる。それを「意匠」として排したことによって、交通を自分で遮断する。( 340 頁)
でも、小林秀雄はやっぱり面白いし凄いんだよね。
もちろん、この二人はそんなことは百も承知で批判してるんだけど。
『はじめの一歩 55 』森川ジョージ、読了。
『 J ・ S ・バッハ イギリス組曲』グレン・グールド(ピアノ)
これらでビール 3 リットルと芋焼酎「白波」 2 杯と睡眠薬 2 錠。
07/07 mon
ゆうべはけっこう飲んだのに、二日酔いになってなくってラッキー。
ところで、焼き肉は数秒あぶるだけ、すき焼きも 2 〜 3 回しゃぶしゃぶするだけという欧米人なみにレア肉喰らいのボクだけど、昨日はさすがにある程度は焼いてから食べました。
だって、牛角ごときの肉なんて信用できないじゃん。
あ、でも、初めて行ったんだけど、思ってたよりもおいしかったですよ、牛角。
ピートロデビューしたりもして。
『狂気の歴史
- 古典主義時代における - 』ミシェル・フーコー 田村俶訳(新潮社)
いよいよ大詰め。
つまり、それはある行為、一挙に疎外をおこさせる構造のなかで狂気が認識に差し出されるようにする行為の首尾一貫した統一性である。( 480 頁)
「解放」と「隷属化」との二重の動きの中で、ある客観性が構成される。
「前もって」狂気から自由であり狂気の外に存在することを可能にする客観性が。
狂気を客体化する動きそのもののなかで、狂気は客体化をおこなう諸形態のなかの最初のものとなる、つまり、人間がそれによって自己自身を客体的に把握しうるもの、となる。( 482 頁)
十八世紀末に起こったこの事態を暴くために、フーコーは迂遠とも思えるような(しかし、それじたい非常に刺激的でもある)慎重な手つきでこの書物を綴ってきた。
「歴史」的に考えることでしか「歴史性」は見出しえないのだから。
「起源」に直行してはならない。
そして、精神分析学が「起源」として神話化した「(家父長制における)親族コンプレックス」もまた「歴史」的な産物でしかないことが明らかにされる。
だが、その沈殿は文明によってゆっくりとかもしだされてきたのであり、とくに狂気が家族のなかで二度疎外〔 = 錯乱〕(アリエネ)させられた――家父長制的な純粋さのなかでの精神錯乱の解消(デザリエナション)という神話によって、また、家族重視の様式をもとに組み立てられた狂人保護院で実際に疎外〔 = 錯乱〕させられる状況によって――この十八世紀末に、とくに近年しっかりと固まった。以後、そしてその期限をまだ定められないある期間、非理性の言説(ディスクール)は、<家族>をめぐるなかば現実的でなかば想像的な弁証法と離れがたく結びつくだろう。( 511 頁)
なぜボクはこの本とフロイトとを並行して読んでいるんだろうか。
それは「フロイトその可能性の中心」とでもいったようなことを考えたかったからだと思う。
精神分析においてフロイトは狂気と理性の交渉を慎重にふたたびつくりだすが、いやむしろ、こうした言語活動(ランガージュ)にふたたび耳をかたむけるのだが、その場合つねに、フロイトの聴取する文言(フォルミュラション)が罪にまつわる文言である点に驚いてはならないのである。こうした根強くつづいた沈黙のなかで、罪は個々の言葉(パロール)の根源そのものを獲得してきたのだったから。( 518 頁)
『ヒューモアとしての唯物論』柄谷行人(筑摩書房)所収「伊藤仁斎論」、読了。
ふつう、われわれは、自分自身の痛みから推論して他人の痛みを認めると考える。だが、それはちがうと彼はいうのだ。クリプキは、ウィトゲンシュタインのいわんとすることを次のようにまとめている。≪われわれは他人に、痛みを認めるがゆえに、同情するのではなく、逆に、われわれは他人に、同情するがゆえに、痛みを認めるのである≫(「ウィトゲンシュタインのパラドックス」)。
「なぜ同情するのか」を知的に(論理的に)基礎づけることはできないし、そうすべきではない。ウィトゲンシュタインにとって、それは「自然史的事実」にすぎない。いいかえれば、それは仁斎のいう「性」(生まれつき)である。人間は生まれつき「同情」するのであり、それが善への指向性なのである。しかし、これは、人間の「性」(本質)にかんする定義ではない。
やはりこれは倫理的な姿勢なのだと思う。
『はじめの一歩 54 』森川ジョージ、読了。
これらでビール 2 リットルと芋焼酎「白波」 3 杯と睡眠薬。
07/06 sun
競馬は 5 戦 1 勝で 16 万 7 千円のマイナス。
最終レースの前までは 45 万くらい負けてたから、これでも助かったほう。
今週もプラス収支で終われた。
夜は牛角で焼き肉。
生ビール 8 杯でフラフラ。
07/05 sat
競馬は 3 戦 2 勝で 29 万 5 千円の儲け。
今日はまずまず納得。
競馬予想 TV をちょっとだけ。
亀谷氏、ずっと出てないなぁ。
つまらん。
『はじめの一歩 53 』森川ジョージ、読了。
これらでビール 1.5 リットルと麦焼酎「琥珀蔵」 1 杯と睡眠薬 2 錠。
07/04 fri
離人感がまた強くなってきていてキビチー。
『 Down World 』 Triceratops
『 Greatest 1997-2001 』 Triceratops
トライセラは、あのメロディーと和田君の声のマッチングが絶妙なんだよね。
ボクの男性ボーカル好き好きランキング(声部門)ではかなーり上位に位置してます。
1 位 中村君
2 位 初恋の嵐の西山君
3 位 和田君
3 位 曽我部
4 位 エレカシ宮本
5 位 YO-KING
こんな感じで。
高音に張りがあってどこまでも伸びて行くような声が好きなんだよな。
中村君なんて、人間の声というより楽器みたいな音を出すときあるし。
苦手なのは奥田民生とか。
声は、ね。
ちなみに、女性ボーカルでは少年ナイフの山野さんとかスーパーカーのフルカワミキちゃんとかの声が好き。
あと、 Kiroro の人の声もなんだか好きなことにこないだ気がついた。
嫌いなのは椎名林檎。
あと元ちとせとか。
『ヒューモアとしての唯物論』柄谷行人(筑摩書房)所収「伊藤仁斎論」
たとえば、イワン・カラマーゾフは次のようにいっている。
僕はお前に一つ、白状しなければならないことがある。一体どうして「近きもの」を愛することができるんだろう? 僕は何としても合点がゆかないよ。僕の考えでは「近きもの」だからこそ愛することができないので、「遠きもの」こそはじめて愛されうるんだと思う。
隣人を愛しうるのは抽象的な場合に限る。どうかすると、遠方から愛しうる場合もある。しかし傍へ寄ってはほとんど不可能だ。
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』米川正夫訳)
熱烈に神や人類や真理を愛する者こそ、近くにある "他者" を愛しえない。前者の愛は、一般的な他者との関係における愛、したがって「愛の理」としての仁であり、後者の愛は、対関係としての愛である。神や人類を愛する者は、具体的・現実的な他者を平然と切りすてることができる。それが「残忍刻薄」にほかならない。( 224 頁)
タマちゃんを「熱烈」に愛する人が実は<群れからはぐれたアザラシ>という記号をしか愛していないというようなことをボクらはよく目にする。
『カラマーゾフの兄弟』を読んだとき、イワン・カラマーゾフはあまりにも痛々しく見えた。
認識する、というそのこと自体によって。
『はじめの一歩 53 』森川ジョージ、読了。
これらでビール 1. リットルと麦焼酎「琥珀蔵」 4 杯と睡眠薬 2 錠。
この焼酎、ジャスコで安く売ってたから買ってみたけど、まずい。
すなおに「いいちこ」にしときゃよかった。
07/03 thu
睡眠薬を抜いて寝たら、あっというまに目がさめた。
『坂口安吾全集 04 』(ちくま文庫)所収「風と光と二十の私と」
どこを引用していいのか分からないくらいに美しい。
ボクにとっての美しさとは、この文章に流れる精神の動きのようなものだ。
それがたとえ美文と呼ばれるようなものとはかけ離れているとしても。
美しくて、切ない。
『 Pinkerton 』 Weezer
『 maladroit 』 Weezer
『瞬間と永遠』曽我部恵一
『ヒューモアとしての唯物論』柄谷行人(筑摩書房)所収「伊藤仁斎論」
『論語』の言葉を特徴づけているのは、それがすべて「対話」においてあること、一対一関係における他者に対して発せられていることである。けっして一般的に、あるいは一般的他者に対して発せられていない。それは、孔子が書かなかったということと同義である。驚くべきことは、ソクラテス、ブッダ、イエスといった連中がそろって書かなかったということである。
( 213 頁)
一般的な他者を愛することはたやすいが、現実関係の中にある「他者」を愛することはむずかしい。
テレビのニュースを見て人類愛をかきたてるのはたやすいのに、職場や学校のような現実的な場所で現実的に接する人たちみんなを優しい目で見ることは困難であるように。
「己れを愛するがごとく、汝の隣人を愛せ」。
『はじめの一歩 52 』森川ジョージ、読了。
これらでビール 1.5 リットルと芋焼酎「白波」 4 杯と睡眠薬 2 錠。
07/02 wed
『 My Name Is Blue 』小島麻由美
『愛のポルターガイスト』小島麻由美
『フロイト著作集 4 』懸田克躬他訳(人文書院)所収「機知――その無意識との関係――」。
『ヒューモアとしての唯物論』柄谷行人(筑摩書房)所収「テクストとしての聖書」、読了。
『聖書』の書記者たちにとって、絶対的な神とは、「歴史」の絶対性を意味する。超越神とは、歴史を超越する視点、物語を構成するような視点がありえないということを意味する。
( 255 頁)
神学というのは、もちろんこれとは正反対の立場に立つものだ。
ここでいう「歴史」とは、小林秀雄のあの有名な定義に従ってもいいし、坂口安吾のいう「突き放すもの」だと取ってもいい。
『坂口安吾全集 04 』(ちくま文庫)所収「風と光と二十の私と」
何十回この文章を読むんだろう。
これらでビール 2 リットルと芋焼酎「白波」 3 杯。
07/01 tue
午前 2 時に眼が覚めて眠れず。
朝までずっと『永遠と瞬間』曽我部恵一(ユニバーサル J )。
『 Love You 』 Symbals
いまさらだけど、 Symbals の土岐麻子さんは可愛い。
ファッションも雰囲気も顔も。
『フロイト著作集 4 』懸田克躬他訳(人文書院)所収「日常生活の精神病理学」、読了。
『ヒューモアとしての唯物論』柄谷行人(筑摩書房)所収「中野重治と転向」、読了
われわれは右のような二元的対立に自足しようとする誘惑を拒否するか否か、いいかえれば「他なるもの」を押し流してしまうか否かという選択を迫られる。そのときにのみ「個」の問題が生ずる。生じないならば、その者はどんなことをいおうとすでに転向しているのだ。つまり、内に閉じてしまっている。( 200 頁)
そこで「自足」してしまっている人を見て不快がってるような時間はもう無いぞ、自分。
『 J ・ S ・バッハ イギリス組曲』グレン・グールド(ピアノ)
『ベスト 35 』かぐや姫
これらでビール 2 リットルと芋焼酎「初蔵仕込」と睡眠薬。