『カント全集 5 』

カント全集 5 『カント全集 5 』有福孝岳 訳(岩波書店)、読了。

 それゆえ、私は次のように言う。全体が経験的直観において与えられていた場合には、その内的諸制約の系列における背進は無限に進む、と。しかし、絶対的総体性への背進がそこから最初に進行すべき系列の一項のみが与えられている場合には、逆進は無規定的仕方において (in indefinitum) のみ行われる。 (…) ( 216 頁)

「無限背進 (regressus in infinitum) 」と「不定背進 (regressus in indefinitum) 」。私たちには、世界の全体が経験的に与えられることは、けっしてない。だから私たちは、制約されたものとしての各現象からその制約である別の現象へと背進し、さらにその現象の制約である別の現象へと…というように、無規定的に背進しなければならない。

 なぜなら、生起するものはすべて原因をもたねばならない、したがってそれ自身生起したあるいは生成した原因の原因性もまた再び原因をもたねばならない。 (…) ( 217 頁)

結果から原因へ、さらにその原因へ…、という無規定的な背進が私たちに課される。現象における諸原因のもとには、一つの系列を端的にそして自ら始めることも、そのように行う何ものかを想定することも、私たちには許されていない。これは理論的かつ倫理的な態度だ。

 この悟性の法則から逸脱すること、あるいは何らかの現象をそこから除外することは、いかなる口実のもとにおいても許されない。 (…)
  (…) ( 240 頁)

しかし、生起するすべてが制約されているのだとしたら、自由と責任はどこにその場所を見出すのか。この重要な問いにもまた、カントは理論的・倫理的に答える。私たちの経験する諸現象はあくまで私たちの感官に与えられたものなのであり、物自体ではない。超越論的感性論の結論から、時間と空間は私たちの感性の形式的制約なのであり、物自体のそれではない。したがって、物自体は時間的規定の法則には従属しない。

  (…) したがって、理性は諸現象を諸自然法則に従って必然的にする感性的諸制約の系列にはまったく属さないということである。理性は、すべての時間状態において人間のすべての行為に現前しており、同一であるが、しかしそれ自身は時間のうちにはなく、また理性がいわば以前にはそこになかったような新しい状態に陥るということもない。理性は新しい状態に関して規定するものではあるが、規定されうるものではない (…) ( 250 頁)

理性のこのような解明によってカントは自由を救ったが、しかしこれは、あくまでも超越論的にであって超越的にではない。超越的に自由を取り扱うことも、カントは固く禁じている。まったくもってすごい書物だ。最上至極宇宙第一書。

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