メモ 2006 年 12 月 21 日

おやすみなさい『おやすみなさい』リーヴ・リンドバーグ文 ジル・マックエルマリー絵 なかがわみちこ(アリス館)。

息子は気に入ってるようで。作者はリンドバーグの娘さんなのね。

『キルケゴール著作集 11 』(白水社)所収「死にいたる病」松浪信三郎訳。

(…) 彼が正しいことをおこなわないならば、彼はそれを理解してもいなかったのである。彼がほんとうにそれを理解していたならば、それは彼をうながしてそれをおこなわせたはずであり、彼をして彼の真理の代表者たらしめたはずである。それゆえに、罪は無知である。 (…) ( 133 頁)

これがソクラテス的な罪の定義である。この観点にたてば、「正しいことについての知識をもちながら、しかもなお不正をおこなう、という」ことはありえないことになる。なぜなら、「ある人が不正をおこなうならば、その人は正しいことを理解していなかったの」であるから。

(…) けれどもキリスト教はさらに根源へさかのぼる。 (…) 人間は、正しいことを理解していても、それをおこなうことをおこたるものである。あるいははなはだしきは(本来の意味の傲慢から)、正しいことを理解していながら、あえて不正をなすものである (…) ( 137 頁)

しかし、キルケゴールがいうこのキリスト教的罪の定義では、じつはソクラテス的なものを論破したことにはならない。それは《理解》というものの位相のちがいによるが、それをキルケゴールはうまく説明できていない。なぜなら。

 しかしながら人間はこのキリスト教的なものを理解することができるであろうか。できるわけがない。キリスト教的なものは実にそういうものである。したがってそれは躓きをおこさせる。それは信ぜられなければならない。 (…) 躓きの可能性は、罪が何であり罪がいかに深くささりこんでいるかを人間に説明してやるためには神のほうから来る啓示が必要だというところにある。( 137 頁)

ビール 2 リットル。

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