メモ 2006 年 12 月 16 日

ママが仕事なので、息子とふたりで動物園へ。

ふれあいコーナーでハムスターをだっこしたり、うさぎさんをなでたりしてる。はじめての経験だね。「うさぎさん、わたがしみたいにふわふわしとるなあ」。

遊園地ではロボットの遊具に乗って、「ばいきんまんろぼっとだ。がおー」だって。お金を入れてあげたけど、故障中なのか動かない。動かないのに、乗ったり降りたりをくりかえしてる。階段をのぼって乗りこんで「ばいきんまんろぼっとだ ! 」、降りたと思ったら、またすぐに階段をぎゃく戻り。操縦席とか操縦レバーとかが気にいったんだろうな。満足するまでさせてあげようと思ったけど、 30 分たっても一向におわりそうもない。「もう帰ろうか」といっても、「まだ ! 」といって延々ループ。しょうがないので抱っこしてそこを離れたら大泣きしちゃった。

馬券は 2 戦 2 敗で 5 万円のマイナス。

『キルケゴール著作集 11 』(白水社)所収「死にいたる病」松浪信三郎訳。

(…) この世的現世的なものよりも下にあることは自己として恥ずべき弱気だということを彼に感じさせるものは、彼の自己のうちにあってこの世を越えたもの、現世を越えたもの、世間を越えたもの、すなわち永遠的なものである。 (…) ( 88 頁)

きのう読んだような自己自身への絶望には、永遠的なものへの意識が存在する。というより、キルケゴールは、このような絶望なしに永遠的なものは意識にのぼってこられないのだという。そして、

(…) この世を重く見るのあまり絶望するにいたった自分の弱気について彼が絶望しているのだとすれば、この世のものは単なる機縁にすぎないものとしてまったく背後へひきさがってしまう。絶望にいたらせるものはもはやこの世のものへの関係のうちにあるのではなくて、自己自身への関係のうちにあることになる。 (…) ( 89 頁)

この形の絶望は、外に原因を持たない自己自身に対する絶望であり、それゆえどこまでもつづく。しかも、それは前の段階の絶望のように、「忘却によって救われるということ」もない。

(…) そのためには自己はいまではあまりに自己でありすぎる。 (…) ( 90 頁)

ビール 2 リットル。

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