メモ 2006 年 12 月 1 日

『キルケゴール著作集 10 』(白水社)所収「不安の概念」氷上英廣訳。

 内面性の欠如のあらゆる形式はそういうわけで能動性受動性かもしくは受動性能動性であるそのどちらであるにせよそれは自己反省においてある。 (…) ( 211 頁)

受動性と能動性が通底するとき、そこには内面性がない。たとえば、

(…) 不信仰は能動性によって受動的であり、迷信は受動性によって能動的なだけである。 (…) ( 214 頁)

そして、内面性の欠如にはかならず自己反省がともなう。

(…) すなわち自己反省がみずからこうした状態から脱却しようと望みながら、しかも自己満足的にそこに残っていることによって、自己自身にとって興味あるものとなってくる、というそうした形態である。 (…) ( 214 頁)

ビール 1.5 リットル。

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