メモ 2007 年 3 月 5 日

坂口安吾全集 01 『坂口安吾全集 01 』(筑摩書房)。

(…) 換言すれば、我々が未来として予想することは単に予想「セラレタ」ものなのである。「セラレタル」対象にすぎないのである。現在「意識シツツアル力」に「意識せられた」未来といふ一つの意識内容に止る。 (…) ( 6 頁)

「意識シツツアル力」は、常に現在であり、動きつづける。つまり、それを認識することはできない。なぜなら、認識したと思ったときには、それは停まってしまったのであり、すでに「意識セラレタルモノ」――つまり対象――となってしまっているからだ。

二十歳のころに発表されたこの小論での認識は、晩年まで変わっていない。

 従て「意識スル力」と意識の対象の外は何者もなく、意識する力は永遠に先に立ち意識対象は永遠に後に従ふといふことに過ぎない。( 8 頁)

ビール 0.5 リットルといいちこの湯割り 6 杯。

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