メモ 2007 年 1 月 24 日

中野重治全集第二十六巻『中野重治全集第二十六巻』(筑摩書房)所収「あけびの花」「塵労鈔」、読了。同書読了。

 ふる里をふんぬんするものは必ずふる里から離れたところにいる。むろん空間的に離れているが、必ずしも空間的にだけではない。 (…) ( 277 頁)

 私は考えるが、どこかの村に生れて、生涯そこから出なかつたものには、「ふる里」の感覚がない。 (…) ( 277 頁)

これはまさにそうだろう。生まれたところにずっと住んでいるものには、「ふる里」というものはわからないだろう。

(…) かえらぬ「ふる里恋し」の思いになやむ人びとは、それだけ、ふる里にこもりつきりの人びとよりも、どこかで成長していることを喜んで悪いということがあるだろうか。 (…) ( 278 頁)

たしかにそうだけれども、出た出ないは相対的なものでしかない。たとえば私は、県は出たが国は出ていない。

 それならば日本国はどうなるか。日本国にしても変わりはない。東京都にいて、やれスモッグだ、溝の匂いだ、トラックにひき殺されたといつている限り、そこから一歩も出ぬ限り、日本国をふる里扱いする感覚は生まれない。 (…) ( 279 頁)

ビール 1.5 リットルといいちこの湯割り 3 杯。

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