メモ 2006 年 12 月 30 日

実家へ。

故郷のジャスコの駐車場で、車のドアが落ちて来てることに気づく。買ってまだ 2 年たってないんだけどな。これがスバル品質ってやつか。運転席側のドアが 2mm ほど下がってるんで、ずれた窓ガラスが干渉してウェザーストリップが破れはじめてる。これは保証範囲なんだろうな。帰ってからディーラーに持っていこう。めんどくせ。ちなみに車は BL レガシィの B 型。

『キルケゴール著作集 11 』(白水社)所収「現代の批判」飯島宗享訳。

(…) さらにまた、ここでの父子は、父親としてのあらゆる権威をひとつの呪詛にあつめて怒る父親でもなければ、父に逆らう子でもない。それほどまでにはっきり分離しているのであれば、かえっておそらく和解の内面性において終わることも可能だっただろう。が、けっしてそうではなく、その関係はまるで文句のつけようのないものなのである。なぜなら、その関係はまさに関係であることをやめかかっているからである。 (…) ( 209 頁)

フロイト的にいっても、父子の対立は根源的なものなのであって、それをなくすのは不可能である。無理になくそうとしても、それは潜勢して、本人たちも気づかない隠微なものとなるだけだ。しかもそうすることは、おいおいにして、「相手」にではなく「関係」に重点が移る原因を生む。曰く「親子の良い関係の作り方」等々。しかし、目的は「関係」ではなく「関係する相手」だ。「関係」について悩んだり工夫したりすることは、すでに倒錯している。そして、このような倒錯した「関係」をキルケゴール的にいえば「緊張」ということになるのだが、それは《衰弱させる緊張》である。

(…) しかし、じゅうぶん注意すべきは、それが断ち切れるところまで力を張りきらせる緊張ではなくて、そのなかで現存在が衰弱させられ熱情も感激も内面性〔まごころ〕も失われてしまう緊張だということである。 (…) 関係はなるほど持続しているが、そこでの関係には、和合において一体にされるのに必要な、内面性に集中する緊張力が欠けているのだ。( 210 頁)

ビール 1.5 リットル。

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