2007 年 2 月 のアーカイブ
2007 年 2 月 27 日 火曜日
ここ何年か量と体力について考えてきて、まだ結論は出ていないのですが、とりあえず今の段階では体力とは馬が限界に近い領域での負荷に耐えられる時間で、量とはその馬が加速を始めてから最高速度に達するまでの時間だと考えてます。もう少し具体的にいうと、差し馬が 3 コーナーすぎから加速をはじめて自身のトップスピードに達するまでが量の領域で、トップスピードに達した後でその速度を維持するのが体力の領域というイメージです。
たとえば、量が豊富で体力の少ない馬は、息長く加速してくるのですが、レッドゾーンに達した後で坂にかかると失速します。そういう意味で、慣性力のままに伸びられる外伸びの京都がむきます。逆に、加速をはじめてからトップスピードに達するまでに時間がかかるので、緩急のある流れだと差し遅れます(昔の東京とか)。要するに、量の豊富さと切れとは背反するということです。
先週のすみれ S の出走馬の 2 頭ををその観点から見てみると、ベッラレイアは切れが凄い。トップスピードに達するまでの時間は現役馬中でも屈指でしょう。ただ、肝心のトップスピード自体はそれほど高くない。 3 速まであっという間に吹け上がるんだけど、 4 速から上がない車のような感じです。体力もそれほどではなさそうなので、レベルの高いレースではよほど条件が揃わないと突き抜けられないでしょう。もう 1 頭ニュービギングもトップスピードはそれほど高くない馬です。切れもたいしてありません。ただ、トップスピードも低いので、その点でトップスピードに達するまでの時間は短めです。そこでこの馬には(サンデーの系統としては)豊富な体力が与えられています。そこで、一定のスピードに達したあとで、延々それを持続するというような走りになる。あとはそれでの他馬の脱落待ち(ホープフル S )。
実馬にあてはめていくとこういった感じになります。まだまったく詰めてない状態ですが。精神面にあわせて、こういった面の考察もぼちぼちやっていきます。
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2007 年 2 月 27 日 火曜日
『大西巨人文選 2 途上 1957-1974 』(みすず書房)。
(…) それやこれやのことから、私は、明確な論理性を貫徹すること、それと同時に音楽的な〔 ? 〕律動性(緊張性)を――漢語・漢文脈的表現の採用(多用)に頼ることなくして――生み出すこと、そういう目標にむかって励んでいる――言わば模索しつつ進もうとしているわけです。 (…) ( 307 頁)
文章において曖昧さがあれば、それはけっきょく思考にも曖昧さがあるということである。逆にいえば、文章の論理性を貫徹しようとすれば、思考の上でもそうせざるを得ない。そしてその貫徹がなされた文章は読む者を心地良くさせる。次に引用する文章のように。
(…) 毎日たくさんの人間が死んでいる。自然死があり、病死があり、横死があり、戦死があり、他殺があり、自殺がある。それらの死にたいして、私は、だいたい特殊具体的な哀悼あるいは驚愕を感じない。私は、人間私の冷淡において、または人間私の鈍感において、または最も多く人間私の自然において、特殊具体的な哀悼あるいは驚愕を感じない。 (…) ( 324 頁)
ビール 3 リットル。
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2007 年 2 月 27 日 火曜日
『大西巨人文選 2 途上 1957-1974 』(みすず書房)。
世の中には、次ぎのような種類の妻がいる。彼女は、その夫が金で女を買うこと・売春婦に接することを、つまり大目に見ることができる。しかし彼女は、その夫が愛人を持つこと・他の女と恋愛することを、決して大目に見ることができない。 (…) ( 213 頁)
世間で(また、それだけでなく創作物の上でも)よく見かける態度である。
(…) この種の妻は、一人の男が、――よしんばそれが彼女の夫であっても、――ある女と金によって性交を行なうのと、ある女と恋愛によって性交を行なうのと、そのどちらが人間的・倫理的であるか、を正当に比較して考えることができない。 (…) ( 214 頁)
「この種の妻」においてこの比較を行うには、自分にたいするある種の態度変更が必要であろう。
(…) 一般に妻は、その夫が第三者女性と交合しないことを願望期待するのが当然であり、しかし不幸にしてそのような事態が発生した場合には、せめてそれは恋愛による交合であることを念願するべきである(それが人間的・倫理的であろう)、と私は考えざるを得ない。これは、夫についても同断である。 (…) ( 214 頁)
たぶんその態度変更は、どこかにフロイト的な意味でのユーモアを含むだろう。
ビール 2.5 リットル。
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2007 年 2 月 22 日 木曜日
馬券は 4 戦全敗で 50 万円のマイナス。
大掃除。ビバ重曹。
『キルケゴール著作集 10 』(白水社)所収「不安の概念」氷上英廣訳「序文ばかり」熊沢義宣訳、読了。同書読了。
(…) そしてより深く不安になればなるほど、その人間は偉大である。といっても、それは一般に考えられているような、不安を外的なもの、人間の外にあるものに関係させている意味においてではなく、人間がみずから不安を生む、という意味においてである。 (…) ( 230 頁)
あらゆる悪をおかすという可能性、それに苦しむのだから。
不安によって形成される者は、可能性によって形成されるのである。そして可能性によって人間形成される者であってはじめて、かれの無限性に従って形成されるのである。 (…) ( 231 頁)
可能性のすべてを苦しんでいる人間は、現実性を引き受けることができる。ぎゃくに、現実性にひしがれているものの持つ不安は外的なものでしかない。
可能性によって現実性の重荷を軽くしようとするのではなく、可能性をすべて現実の苦しみとして苦しむことをしとげたならば、不安にたいして次のような態度を取ることができる。それは感動的な態度である。
(…) むしろかれは不安を歓迎する。ソクラテスが荘重に毒杯を仰いだように、荘重に不安に挨拶する。かれは不安とともに部屋に閉じこもる。苦しい手術がはじまろうとするとき、患者が手術をする医師にむかっていうように、どうぞお願いします、という。そこで不安はかれの魂のなかにはいってくる。何から何までくまなく捜し、有限的な瑣末なものを不安に陥らせて、かれのそとに追いだす。そしてかれをかれの欲するところにみちびいてゆく。 (…) ( 236 頁)
ビール 1.5 リットル。
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2007 年 2 月 22 日 木曜日
『ねむれないよるは』クリス・ラシュカ絵・文 泉山真奈美訳(偕成社)。
そういえばこないだ、部屋を暗くしてからも寝付けないみたいで、目をぱっちりあけて、でもママともパパともいわずに横になってた。なにか考えてたんだろうか。
馬券は 5 戦 1 勝で 11 万 9 千円のマイナス。
『キルケゴール著作集 10 』(白水社)所収「不安の概念」氷上英廣訳。
(…) 習慣は、永遠が反復から消失するやいなや成立するのである。真摯における根源性が獲得され保持されるやいなや、継起と反復がそこにある。 (…) ( 221 頁)
しかし、どうやって人は真摯になるのか。
(…) ところがいかなる人間もこの対象を持っていたのだ。つまり、それはかれ自身だからである。この対象に真摯にならないで、何かほかのもの、何か大きな騒々しいものに真摯になった者は、かれのすべての真摯にもかかわらず、道化である。 (…) ( 222 頁)
ビール 3 リットル。
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2007 年 2 月 22 日 木曜日
『キルケゴール著作集 10 』(白水社)所収「不安の概念」氷上英廣訳。
内面性の欠如のあらゆる形式は、そういうわけで、能動性―受動性か、もしくは受動性―能動性である。そのどちらであるにせよ、それは自己反省においてある。 (…) ( 211 頁)
受動性と能動性が通底するとき、そこには内面性がない。たとえば、
(…) 不信仰は能動性によって受動的であり、迷信は受動性によって能動的なだけである。 (…) ( 214 頁)
そして、内面性の欠如にはかならず自己反省がともなう。
(…) すなわち自己反省がみずからこうした状態から脱却しようと望みながら、しかも自己満足的にそこに残っていることによって、自己自身にとって興味あるものとなってくる、というそうした形態である。 (…) ( 214 頁)
ビール 1.5 リットル。
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2007 年 2 月 22 日 木曜日
『アンパンマンのおはなしわくわく 3 アンパンマンにはないしょ』やなせ たかし(フレーベル館)。
物語りとして弱いし、カタログ的な読みかたをするにしてもものたりない。
『キルケゴール著作集 10 』(白水社)所収「不安の概念」氷上英廣訳。
(…) あるいは、そのような者は、その過去の生活のある時期について語り、こんなふうにいうこともある。――「あの時分なら、おれも救われたかもしれない」。およそ考えられるかぎりの恐ろしい返事である。かれを不安にするのは罰でもなければ、叱咤の雷鳴でもない。そうではなくて、非自由性のなかで難破しかかっている自由と連繋しようとするあらゆる言葉なのだ。 (…) ( 179 頁)
この非自由性を無視することが自由なのではない。
ビール 3 リットル。
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2007 年 2 月 22 日 木曜日
『キルケゴール著作集 10 』(白水社)所収「不安の概念」氷上英廣訳。
(…) 閉鎖性はたえずますます自己伝達( 交わり)から自己を隔離していった。ところがこの自己伝達はまた連続性の表現であって、この連続性の否定こそ突発的なものなのである。 (…) ( 192 頁)
自己伝達が突発的なものなら、それはけっきょく悪魔的なものであって、真の自己伝達ではない。このような考察にキルケゴールの内面世界か浮かび上がる。たぶんそれは次のような絶望的なものだったのだろう。
(…) 閉鎖性の連続性は、たえずその尖端で回転している独楽が持っているにちがいない眩暈にもたとえられよう。 (…) ( 193 頁)
ビール 1.5 リットル。
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2007 年 2 月 21 日 水曜日
睡眠薬をのまないと 1 日 2 時間も眠れない。もう 2 週間ちかくそんな日が続いてる。さすがに体の調子がおかしくて、今日からは神経痛がしはじめた。頭と顔が痛い。風が吹いて髪の毛がゆれただけでズキンときやがる。あと、右の腰も痺れたみたいで感覚がない。
『キルケゴール著作集 10 』(白水社)所収「不安の概念」氷上英廣訳。
(…) 言葉、ことばはまさしく救済者、ひとを閉鎖性の空虚な抽象から救いだす者なのだ。 (…) ( 179 頁)
しかし、言葉を話したからといって、そこにかならず《交わり》が存在するとはかぎらない。
(…) 独白といったが、これこそ、まさしく閉鎖性の話術なのだ。 (…) ( 190 頁)
誰かと語ろうが、そこに他者性がなければ、それは独白でしかない。
ビール 1.5 リットル。
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2007 年 2 月 21 日 水曜日
『キルケゴール著作集 10 』(白水社)所収「不安の概念」氷上英廣訳。
(…) 悪魔的なものは何物かをもって自己を閉鎖するのではない。いや、それは自己自身を閉鎖するのだ。 (…) ( 179 頁)
開示とは自由である。しかし、悪魔的なものは自己を開示するとき自由によってではなく不自由によってそうする。
ビール 2.5 リットル。
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2007 年 2 月 21 日 水曜日
ビール 1 リットルで朝寝。
『キルケゴール著作集 10 』(白水社)所収「不安の概念」氷上英廣訳。
(…) 同情する側が、その同情に際して、ここで問題になっているのは自分自身のことなのだということを、最も厳密な意味で理解して、さてその上で悩んでいる人に対する場合にのみ、――かれが悩んでいる相手と自己を同一視することができ、事柄の解明を求めて苦闘することによって、自分自身のために苦闘して、あらゆる無思慮、柔弱さ、卑怯をかなぐり捨てる場合にのみ、はじめて同情は価値あるものとなる。 (…) ( 179 頁)
ふつうの意味での同情は、たしかに同情するもののエゴイズムでしかない。しかし、それを暴き立てて悦に入ることもまたエゴイズムでしかない。
馬券は 4 戦全敗で 17 万円のマイナス。
ビール 1.5 リットル。
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2007 年 2 月 21 日 水曜日
ビール 1 リットルで朝寝。
馬券は 4 戦 2 勝で 238 万円のプラス。
『キルケゴール著作集 10 』(白水社)所収「不安の概念」氷上英廣訳。
(…) 換言すれば、悔いは罪を除くことができない。悔いはただ罪のもとで悩むことができるだけだ。罪はどんどんその結果に向かって進んでゆく。悔いはそれに踵を接してついてゆくが、いつも一瞬だけおくれる。 (…) ( 172 頁)
悔いは反省ではない。それは振りかえるが現在的になのだ。しかし《いつも一瞬だけおくれる》。
ビール 1.5 リットル。
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2007 年 2 月 21 日 水曜日
このごろはパパっ子だね。
『キルケゴール著作集 10 』(白水社)所収「不安の概念」氷上英廣訳。
(…) 個体はどんなに深く罪のなかに沈んでも、それはまだまだ深く沈むことができる。そしてこの「できる」が不安の対象なのだ。 (…) ( 170 頁)
そして、この「できる」に対する不安は誠実を装った詭弁を弄しようとする。それは罪を量的規定で捉えようとする。
(…) だがこの量的規定のふざけと暇つぶしが個体を、さながらすべる砂のなかに掘った漏斗の底で待ち伏せしているオオアリクイのように、質的飛躍においてとらえようとするやいなや、不安は用心ぶかく後退する。 (…) ( 170 頁)
ビール 1.5 リットル。
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2007 年 2 月 18 日 日曜日
単勝を買うとしたらメイショウバトラーかな。馬場次第ではあるものの。
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2007 年 2 月 17 日 土曜日
東京 11R クイーンカップ
集中状態に入りつつ圧勝してきた格上げ戦の 10 ラストベガが本命。単複で。
単勝 10 1 万円
- 1 着 14 イクスキューズ 3 番人気
- 2 着 13 カタマチボタン 1 番人気
- 12 着 10 ラストベガ 14 番人気
不的中
ラストベガに、先行馬が圧倒的に有利だった土曜の馬場で届くような能力がある訳もなく。 7 日目だし、フラットな馬場だとなんとく思い込んじゃってました。 (2007-02-20-21:00)
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2007 年 2 月 16 日 金曜日
水泳の見学。ひとつ大きいクラスに移ってからは初めての見学。飛び込みもすごく楽しそうにやっててひと安心。
車で移動したたらとつぜん吐いたのでびっくり。どこか悪いのかと心配したものの、すぐにけろりとなって遊んでる。ママによると、ちかごろは指を口に入れるくせがついてて、深く入れすぎて空えずきをしてるときがたまにあるらしい。それはそれで心配。
『キルケゴール著作集 10 』(白水社)所収「不安の概念」氷上英廣訳。
(…) もしひとが自由に、善か悪かを選ぶことができるような一瞬間――自由自身はそのいずれにも属しないで――を許そうとするなら、まさしくこの瞬間において自由は自由ではなく、無意味な反省である。 (…) ( 167 頁)
自由とは可能性であり、あくまで善である。そこでは罪への不安はあるが、罪そのものはない。質的飛躍がそれをもたらす。
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2007 年 2 月 16 日 金曜日
しまじろうごっこをするとき、なぜかパパにはなちゃん役をさせる。
ママだとダメらしい。
『キルケゴール著作集 10 』(白水社)所収「不安の概念」氷上英廣訳。
(…) 罪と負い目の概念は、まさしく個々人を個々人として措定する。全世界とか全過去とかに対する関係はぜんぜん問題にならない。かれが負い目を持つということだけが問題である。しかもかれは運命によって、したがって問題にならないところのいっさいのものによって、負い目あるものとなるべきなのである。それによって、かれは運命という概念をまさしく止揚するところのあるものになるべきなのであり、しかもかれは運命によってこれになるべきなのである。( 148 頁)
外的な原因を内的なものとして受け入れること。しかもそうすることがやはり外的な原因によるのだということを忘れないこと。必然性と偶然性との統合。
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2007 年 2 月 16 日 金曜日
車から降りたあとでそのまわりを走らないという約束をやぶったので、風呂場でふたりで話し合った。じきに 2 歳 6 か月、そろそろ約束の大切さをわかっていかないと。
『キルケゴール著作集 10 』(白水社)所収「不安の概念」氷上英廣訳。
(…) 私が過去のあやまちのために不安になっているとすれば、それは、わたしがそれを過去のものとして、私自身への本質的な関係のなかに置かないで、なんらかの欺瞞的な仕方によって、その過去への帰属を妨げているということによるのである。つまり、もしそれがほんとうに過去のことであるなら、私は不安にはならないで、ただ後悔しうるだけである。 (…) ( 139 頁)
そのようなとき、そこに罪は存在しない。自然に罪が存在しないように。
ビール 1 リットル。
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2007 年 2 月 16 日 金曜日
しまじろうになりきってごっこ遊びをやってるなと思ったら、妹のはなちゃんを遊園地の遊具にのせて、お金を入れる場面だけ素の自分にもどってた。にこにこしながら「はなちゃん、ぼくがおかねいれてあげるね」だって。ミツグ君(死語 ? )の素質十分というところかな。
『キルケゴール著作集 10 』(白水社)所収「不安の概念」氷上英廣訳。
(…) 瞬間が存在しなければ、永遠的なものは過去的なものとして、背後にあらわれる。 (…) つぎに瞬間は措定されているが、しかもたんなる境界として措定されている場合には、未来的なものが永遠的なものである。さらにまた、瞬間が正しく措定されるならば、永遠的なものが存在する。その永遠的なものは同時に未来的であって、それがまた過去的なものとして戻ってくるのである。以上はそれぞれギリシア的な見方、ユダヤ的な見方、キリスト教的な見方として明瞭に示されている。 (…) ( 136 頁)
瞬間が境界でしかないとすれば、未来は計量可能である。そこには量的な問題しかありえない。しかし、永遠とのかかわりにおいてあるとすれば、質的飛躍が不可避になる。
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2007 年 2 月 16 日 金曜日
38 ℃の熱。きのう熱の徴候があったのに雨に濡れたりしたからな。
ビール 1 リットルと風邪薬で朝寝。
馬券は 5 戦 2 勝で 36 万 1 千円のプラス。
ちかごろよく LEGO であそんでる。まえはほとんどさわらなかったのに。いまあるのは DUPLO なんで、クリスマスにはもうちょっと高年齢向けのを買ってあげようか。
『キルケゴール著作集 10 』(白水社)所収「不安の概念」氷上英廣訳。
(…) 瞬間は時間における永遠の最初の反映であり、いわば時間を食いとめようとする永遠の最初の試みである。 (…) ( 134 頁)
永遠が時間に触れたとき、瞬間が生じる。そのときはじめて歴史が現われる。
(…) 自然は瞬間のなかには存しない。 (…) ( 134 頁)
つまり、自然には歴史がない。したがって、動物にもそれはない。歴史、たとえば「世代」は罪とともにある。
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2007 年 2 月 15 日 木曜日
あすたむらんどへ。入場口に近づくと、「きょうりゅう、おらん ? 」と後じさり。「おるよ。でも生きてないよ」と答えたら、ちょっと安心したみたいでついてくる。
恐竜の展示物のある建物へは入ろうとせず。どうやら、外から見えたらしい。「きょうりゅうおった。にげる。」
遊具で大はしゃぎ。
ボクはここにくるのがはじめてだったんだけど、予想以上に施設の充実度が予想以上。子供科学館は大人でも燃える。もちろん子どもも燃えてる。ボクは主に体力測定系、子どもは動物系の展示で。「ぱぱ、ここにへびさんがかくれとるんよ」。ママはお魚つくってる。
帰りは雨。
馬券は買わず。
『キルケゴール著作集 10 』(白水社)所収「不安の概念」氷上英廣訳。
(…) 時間のうちには現在的なものも、過去的なものも、未来的なものもない。 (…) ( 129 頁)
時間とは「契機(連続)」である以上、それを分断してしまえばそれはもう時間とは違うもの(刹那)でしかない。
(…) これに反して、永遠的なものは現在的なものである。思惟されたものとしては、永遠的なものは、止揚された継起として現在的なものである。(時間は、過ぎ去りゆくところの継起であった。) (…) ( 130 頁)
ビール 2 リットル。
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2007 年 2 月 15 日 木曜日
『キルケゴール著作集 10 』(白水社)所収「不安の概念」氷上英廣訳。
(…) 本来的な「自己」は質的飛躍によってはじめて措定される。それ以前の状態においては、本来的な自己は問題にならぬ。だから、罪を「自己本位なもの」から説明しようとするなら、ひとは不明瞭のなかにまきこまれてしまう。なぜかといえば、むしろ反対に、罪によって、罪において、自己本位なものが成立するわけだからである。 (…) ( 117 頁)
キルケゴールが「自己」を知れというとき、それは個が普遍に通ずるというようなありふれたことを言っているのではない。むしろ、そのことの困難を知れといっているのだ。
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2007 年 2 月 13 日 火曜日
『と おもったら il riccio di mare 』イエラ・マリ作 来栖カイ訳(ブロンズ新社)。
これはボクがみててもおもしろい。そして、うちの子も好きなんだよな。
『キルケゴール著作集 10 』(白水社)所収「不安の概念」氷上英廣訳。
(…) 冗談がまじめなことばと同じような作用をすることもあるし、その反対の場合もありうる。口に出していうのも、黙っているのも、意図した効果とはまったく反対のものを生みだす場合がある。この点に関しては、何の限界もない。 (…) ( 110 頁)
何を話してもきちんと伝わらない。自分の考えや感情を正確に言葉に表すことができたとしても、相手が了承するそれは、自分の意図とはちがってしまっているだろう。なんていうような諦めと、自分の意図や行動を説明することはできるだけ避けるべきだという倫理的 (?) な配慮から、つい黙りがちになってしまう。
だけど、たぶんそれは倫理的なことじゃない。「口に出していうのも、黙っているのも、」ある意味では等価なのだから、黙ることに話すこと以上の価値をおくのは間違いだ。
語るにせよ黙るにせよ、それが自分の意志を超えた働きをもつ(あるいはなんの働きもしない)ことを認識したうえでなお語り・黙すこと、そこに倫理的な何かがあるんだと思う。
ビール 2 リットル。
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2007 年 2 月 13 日 火曜日
『増補改訂版 20 世紀名馬大全』(宝島社)、読了。
ひさしぶりに別冊宝島の競馬ものを読んでみた。ますますダメになってる。とくに青木るえかの、自分の感受性はこんなに奇妙なんだと自他に声高に訴えたがってる、かわいげのない小学生のようなあの文章の不快さときたら。
ビール 2 リットルと睡眠薬 1/4 錠。
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2007 年 2 月 13 日 火曜日
健康診断。
『キルケゴール著作集 10 』(白水社)所収「不安の概念」氷上英廣訳。
(…) 負い目なさとともに、その最初の規程が無知であるような知がはじまる。これが羞恥の概念なのだ。羞恥のなかには不安がある。なぜかといえば、精神は綜合の分離の頂点において、おのれがたんなる身体として規定されるのではなく、性的羞恥心をもった身体として規定されるというふうに規定されるからである。 (…) ( 72 頁)
無垢の状態において、性的区別は精神による綜合の不可能性として感知される。そこに不安が生じる。しかし、同時に、この不可能性こそが精神が精神となるための綜合の可能性の原初ともなりうるものである。
(…) 課題は、いうまでもなく、それを精神の規定のなかに取りいれるということである。(ここにエロス的なもののあらゆる倫理的な問題が存在する)。その実現は、精神が勝利をしめ、そのため性的なものが忘れられ、ただ忘れられたものとして想起されるような、人間における愛の勝利である。 (…) ( 120 頁)
ビール 2 リットルと睡眠薬 1/4 錠。
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2007 年 2 月 13 日 火曜日
常用してる k2editor はいまのところ内部処理が Unicode ではない。いっそのこと内部処理まで Unicode のエディタに乗り換えようか。そのうち EmEditor と GreenPad を試してみよう。
『キルケゴール著作集 10 』(白水社)所収「不安の概念」氷上英廣訳。
(…) 人間が精神によって担われた、心と身体の綜合でなかったら、罪性とともに性的なものがはいってくることは決してありえないはずである。 (…) ( 101 頁)
動物には人間的な意味での世代はない。よって歴史もない。
(…) 動物の場合には性的差別は本能的に発生しうる。しかし人間はまさに綜合であるから、そうした仕方では性的差別を持つことはできない。 (…) ( 106 頁)
ビール 2 リットルと睡眠薬 1/4 錠。
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2007 年 2 月 13 日 火曜日
妻と子どもは姪っ子たちとアンパンマンミュージアムへ。
馬券は 1 戦 1 敗で 10 万円のマイナス。
『増補 漱石論集成』柄谷行人(平凡社ライブラリー)。
(…) したがって、知識人はその最初から、「知」に対して否定的であり、そのその外部に生活、大衆、常識、あるいはイノセンスを想定している。むしろ知性がなくても、知識人になれる。なぜなら、知識人とは大衆ではないという自己意識であり、しかもその根拠がたんに知識を否定する自己意識にあるからだ。 (…) ( 563 頁)
知そのものではなくて、それの受け入れられかたにばかり気をとられた本が売れてるのが目につくこの頃。
ビール 2 リットルと睡眠薬 1/4 錠。
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