叢書ウニベルシタス   321 スピノザと表現の問題』 ジル・ドゥルーズ

叢書ウニベルシタス   321  スピノザと表現の問題叢書ウニベルシタス   321 スピノザと表現の問題』ジル・ドゥルーズ 著 工藤喜作・小柴康子・小谷晴勇 訳(法政大学出版局)、読了。

(…) デカルトの形而上学はこの企てを完成させた。というのは、自然の外に、自然について考える主体と自然を創造する神のうちに有を求めているからである。逆に、反デカルト的反動において問題となるのは、力 (forces ou puissance) を与えられた自然の権利を回復することである。 (…) ( 233 頁)

このような観点からスピノザの思想が描かれる。本書では、同じように反デカルト的な指向を持つものとしてライプニッツが諸所で連れ出され、それはスピノザとライプニッツの決定的な差異が提出される「結論」まで続く。

個人的にはここ半年ほど目の調子が悪くて読書がすすまなかったのだが、この本に圧倒されて猛烈に読書欲がわくことになった。徹底的に論理的なその緻密さを楽しみつつ読みすすめていくと、終盤にとつぜん空が晴れ渡ったような感動がやってくる。スコーンと抜けるというか。すごいわ、この本。『差異と反復』も読みかえそう。

『エティカ』を読んだ人には絶対的におすすめできる本だ。

科学で勝負の先を読む 投資からテニスまで先を読むため・読まれないための実践ガイド』 ウィリアム・パウンドストーン

科学で勝負の先を読む 投資からテニスまで先を読むため・読まれないための実践ガイド『科学で勝負の先を読む 投資からテニスまで先を読むため・読まれないための実践ガイドウィリアム・パウンドストーン 著 松浦俊輔 訳(青土社)、読了。

“randamness” についての本。人間はランダム性を認識することが本当に苦手だしランダムにふるまうこともそれに劣らず苦手だということをあらためて教えてくれる。そして、それを知っておくと、いつかどこかですこし有利にふるまえるかもしれない。

  (…) 同じものが 5 回続くほどランダムに見えない組み合わせはない。
 これが「ランダム」と「ランダムに見える」の違いを提起する。 HHHHH (と TTTTT )の出やすさは偏りのない硬貨を 5 回はじいたときに出てくる他のどの並びとも変わらない。「 5 回連続同じ」のほうがランダムではないとは言えない――ただ確かにランダムには見えない。( 46 頁)

『シグナル & ノイズ ――天才データアナリストの「予測学」』 ネイト・シルバー

シグナル & ノイズ ――天才データアナリストの「予測学」『シグナル & ノイズ ――天才データアナリストの「予測学」ネイト・シルバー 著 川添節子 訳(日経 BP 社)、読了。

ペースボール・プロスペクタス社の予測モデル「 PECOTA 」の開発者であり現在は政治予測サイト FiveThirtyEight の主宰者である著者が、野球・天気予報・地震・経済・ギャンブル等のさまざまな分野での予測の現状を取材しつつ、予測というものに対する自らの考えを述べた本だ。私が予測においてなおざりにしがちな点について、この本からいくつかの示唆を得ることができた。

 私自身は、多数が一致した意見――イントレードのような市場がどうなっているか――には注意している。それに執着することはないが、コンセンサスから離れれば離れるほど、「みんなが間違っていて自分は正しい」と思うにいたった根拠が強固なものでなくてはいけない。 (…) ( 406 頁)

人気薄を買うときに雑になってはいけないと反省している。

  (…) ときには自分だけが市場に勝つこともあるが、いつも期待してはいけない。それは自信過剰のサインである。 (…) ( 406 頁)

この本でのベイズの定理の紹介を読んで、私はそれを自分の主観的な確率の見積もりどうしの関係における偏りを知る道具として使えないかというような夢想をしてしまった。勉強してみよう。

ところで、本書は各分野につき 1 章ずつ使ってまんべんなく紹介しているのだがそのまんべんなさが問題で、金太郎飴的に平板な印象を受けて中盤はやや読みだれしてしまった。できれば次は彼自身が行う予測について語ってほしい。 (2015-06-13-19:45 追記 )

『饗宴』 プラトン

饗宴『饗宴』プラトン 著 久保勉 訳(岩波文庫)、読了。

饗宴の席でソクラテスは最後から二番目に語り、最後にアルキビヤデスが語るという構成の妙。テーマであるエロス(愛)について、このことだけでも多くを語っている。

『大岡昇平全集 10 』

大岡昇平全集  10 『大岡昇平全集 10 』(筑摩書房)、読了。

「レイテ戦記」下などの巻。

 もしそうなら、生き残ったわれわれのすることは何か。アメリカ人を一人でも多く殺して、彼等の志を継ぎ、仇を打ってやることである。( 342 頁)

レイテ島の戦場跡に立ったとき、生き残った兵士としての大岡昇平はこう思う。まちがいなく「反戦」的な作家であった大岡昇平がだ。この言葉は、兵士として戦場に出るという体験がどれほど特殊なものであるかということを考えさせてくれる。もちろん、それが特殊であろうことを考えるというだけで、その特殊さを知ることはおろか想像することも私にはできないのだけれども。

  (…) もうだれも戦争なんてやる気はないだろう、同じことをやらないだろう、と思っていたが、これは甘い考えだった。戦後二五年、おれたちを戦争に駆り出した奴と、同じひと握りの悪党共は、まだおれたちの上にいて、うそやペテンで同じことをおれたちの子供にやらせようとしている。( 426 頁)

『フラッシュ・ボーイズ 10 億分の 1 秒の男たち』 マイケル・ルイス

フラッシュ・ボーイズ  10 億分の 1 秒の男たち『フラッシュ・ボーイズ 10 億分の 1 秒の男たちマイケル・ルイス 著 渡会圭子・東江一紀 訳(文藝春秋)、読了。

マイケル・ルイスらしく、よく取材された良作だった。超高速取り引きやダークプールについて描かれていて、その面では興味ぶかく読めた。ただ、そういう取り引きがアンフェアだというルイスの主張には、あまり共感できなかった。トレードで食ってる身としては、市場でのできごとがフェアかフェアじゃないかなんて考えている心の余裕はない。それでも、そういう問題の解決策のひとつとしての IEX には商業的に成功してほしいとは考えている。

「 (…) たしかに彼らが規制の範囲内でやってきたことは見事だった。超高速取引業者は思っていたような悪党じゃない。システムのせいで堕落しているんです」( 283 頁)

『マルクス = エンゲルス全集 第 23 巻 第 1 分冊』

マルクス = エンゲルス全集 第 23 巻 第 1 分冊『マルクス = エンゲルス全集 第 23 巻 第 1 分冊』大内兵衛・細川嘉六 監訳(大月書店)、読了。

『資本論』の第 1 巻の第 1 分冊。 2014 年のベストセラーの一冊に『資本論』が入っていると耳にしたので、私も便乗してみようと思い図書館で借りてきた。売れているだけあって、とてつもなくおもしろい本だった。

(…) 困難は、貨幣が商品だということを理解することにあるのではなく、どのようにして、なぜ、なにによって、商品は貨幣であるのかを理解することにあるのである。( 123 頁)

価値形態論から貨幣の分析へ。そして貨幣から転化した資本が剰余価値を生む、その過程の解明。たくさんの哲学者がこの本に夢中になったことが、自分でも読んでみて納得できた。

 支払手段としての貨幣の機能は、媒介されない矛盾を含んでいる。 (…) この矛盾は、生産・商業恐慌中の貨幣恐慌と呼ばれる瞬間に爆発する。貨幣恐慌が起きるのは、ただ、諸支払の連鎖と諸支払の決済の人工的な組織とが十分に発達している場合だけのことである。この機構の比較的一般的な攪乱が起きれば、それがどこから生じようとも、貨幣は、突然、媒介なしに、計算貨幣というただ単に観念的な姿から堅い貨幣に一変する。( 180 頁)

何年か前に私もこの目で見た光景だ。貨幣そのものが持つ矛盾の問題として貨幣恐慌を見るマクルスの分析は、今でもとても新しい。

『クルマが先か ? ヒコーキが先か ? 』 岡部いさく

クルマが先か ?  ヒコーキが先か ? 『クルマが先か ? ヒコーキが先か ? 』岡部いさく(二玄社)、読了。

飛行機用のレシプロエンジンに興味をもったものの飛行機のことをなにも知らないので、手始めにこの本から読んでみた。

基本的には紹介本で考察本ではないのだけれど、今回の私の目的にはそれでじゅうぶんで、それなりに楽しんで読めた。

ベルグソン全集 1   <<新装復刊>> 時間と自由 アリストテレスの場所論』

ベルグソン全集 1   <<新装復刊>>  時間と自由 アリストテレスの場所論ベルグソン全集 1   <<新装復刊>> 時間と自由 アリストテレスの場所論』平井啓之・村治能就・広川洋一 訳(白水社)、読了。

『純粋理性批判』と『実践理性批判』を読んだあとでカントとはまるっきり異質の哲学者の本が読みたくなってベルクソンを手に取ってみたのだけれど、偶然にも「時間と自由」は『批判』の批判のような論文だった。

本来は持続として捉えるべき時間をカントは空間と同じように等質で並置可能なものと見なす誤りを犯したのだとベルクソンはいう。ベルクソンによると、世人は時間を考えるときに空間の観念によって考えているのであって、真の持続を考えているのではない。

 私が時計の文字盤の上に振子の振動に呼応する指針の動きを目で追うとき、世人がそう信じているらしくみえるように、私は持続を計測しているのではない。私は同時性を数えるにとどまるのであって、これははっきりと別のことなのだ。( 103 頁)

振子の例にとられたような時間――空間と同様に等質の環境である時間――においては、すべての自由は了解できないものとなるだろうとベルクソンはいう。そして、自由を物自体の世界においたカントを批判する。

  (…) カントはむしろ自由を時間の外に位置させて、われわれの悟性に全面的に委ねられた現象の世界と、立入り禁止の物自体の世界とのあいだに、越え難い垣をきづくことを好んだのである。
 しかしおそらくこのような区別はあまりに割り切りすぎているし、この垣も人が考えるよりも越えやすいものなのだ。なぜなら、もしも偶然に、現実の持続の諸瞬間が、注意深い意識の知覚するところとなって、並置されるかわりに相互に浸透し合い、また、これらの瞬間がお互い同士で異質性を形成し、その異質性の中では必然的決定の観念などはどんな種類の意味ももたなくなるようなことになれば、そのときには、意識によって把握された自我は自由原因となるであろうし、われわれは自分自身を絶対的に認識することにもなるだろう。( 214 頁)

しかしこの「垣」の越えかたがもしあるとしても、それをベルクソンがこの本で明確にしてくれたとは思えない。なにかあいまいでイメージに頼った語りなのだ。あいかわらず original な思想家だと思うのだが、今回のこの本でも一抹のいかがわしさを感じずにはいられなかった。

『スーパーカー誕生』 沢村慎太朗

スーパーカー誕生『スーパーカー誕生』沢村慎太朗(文踊社)、読了。

著者はスーパーカーを高性能でミドシップの市販車だと端的に規定する。その上で、そのカテゴリーにおける代表的な車について、黎明期から順を追って考察していく。

当然ながら各車にはそれぞれ設計上の特徴がある。自動車設計において、特徴とはつまり目的か制約――あるいはしばしばその両方――の結果であるはずだ。たとえば、ランボルギーニ・ミウラがその V12 エンジンを縦ではなく横に置いているのは、居住空間の確保という制約の結果なのだと著者は説く。
こういった考察だけでも興味ぶかいのだが、著者はなんと開発主任のジャンパオロ・ダラーラにインタビューして裏を取っている。その上で、居住空間の確保というこの制約が生んだミウラのネガが考察されていく。

そんなふうにして 30 台以上の車が語られる。丹念に熱意をこめて書かれていて楽しんで読めた。スーパーカーやスポーツカーに興味を持っている人なら読んで損はないと思う。ただ、車にとくには興味を持っていない人にまで読ませる力という面では、残念ながら不足を感じてしまった。小林秀雄は文学に興味がない人間が読んでもたぶん面白い。

『カント全集 7 』

カント全集 7 『カント全集 7 』坂部恵・平田俊博・伊古田理 訳(岩波書店)、読了。

『人倫の形而上学の基礎づけ』と『実践理性批判』の巻。『純粋理性批判』において、カントは、我々にとって自由というものが存在するならばそういう仕方でしかありえないという在り方を蓋然的に定立した。『実践理性批判』においては、カントは自由を実践的に必当然的なものとして提示する。

しかしこれが、とてつもなくむつかしい。難解というのではない。『純粋理性批判』と同じくカントの文章は理路整然としていて、納得しつつ読みすすめることができる。しかし、この本は頭で理解してもどうにもならない。

 この法則は、感性的自然としての感性界に、(理性的〔存在〕者にかんして)知性界すなわち超感性的自然〔本性〕の形式を与えるが、とはいえこの感性界のメカニズムを断ち切ることはない。ところでもっとも一般的な意味での自然〔本性〕とは、物の現存ありかたが法則のもとにあることである。理性的〔存在〕者一般の感性的自然とは、その〔存在〕者の現存が経験的に制約された法則のもとにあるこの〔存在〕者の存在であり、したがって理性にとっては他律である。この同一の理性的〔存在〕者の超感性的自然〔本性〕は、これに反して、それが現存するにあたって一切の経験的制約から独立な、したがって純粋理性の自律に属する法則にしたがっていることである。そして事物の現存を認識にしたがわせるにあたっての法則は、実践的であるから、われわれが概念化できるかぎりの超感性的自然〔本性〕と、純粋実践理性の自律のもとにある自然〔本性〕にほかならない。この自律の法則は、ところで、道徳法則である。 (…) ( 184 頁)

この「道徳法則」。これを理解したのなら、これに従って生きているはずだ。むつかしい。

ブルーバックス  B-79 相対性理論 はじめて学ぶ人のために』 ジェームズ・ A ・コールマン

ブルーバックス  B-79  相対性理論 はじめて学ぶ人のためにブルーバックス  B-79 相対性理論 はじめて学ぶ人のためにジェームズ・ A ・コールマン 著 中村誠太郎 訳(講談社ブルーバックス)、読了。

平易な文章で初学者にも理解できることだけを書いてくれているので、私にも楽しく読めた。相対性理論について次の一冊を読んでみようと思わせてくれる本だった。

『フランス史 ――― II 中世 (下)』 ミシュレ

フランス史 ―――  II  中世 (下)『フランス史 ――― II 中世 (下)ミシュレ 著 立川孝一・真野倫平 責任編集(藤原書店)、読了。

訳註によると、オルレアン公の死を巡る記述には、一八三九年に死んだミシュレの妻ポーリーヌの思い出が重なっているという。 7 月に亡くなり埋葬された妻の棺を、ミシュレは 9 月に掘り起こさせ亡骸を凝視したというのだ。そんな歴史家はこれから先そうは現れないだろうし、こんな歴史書が書かれることもそうはないだろう。

 一人一人の人間は人類であり、世界史である……。だがそれだけではなく、無限の普遍性を担っているこの存在は、同時に特別な個人、ひとつの人格、たった一人のかけがえのない存在なのだ。前にも後にも同じものなどない。 (…) ( 194 頁)

『真相 マイク・タイソン自伝

真相 マイク・タイソン自伝『真相 マイク・タイソン自伝ジョー小泉 監訳 棚橋志行 訳(ダイヤモンド社)、読了。

650 ページほどのこの本でボクサーとして上昇していく姿が描かれているのは 150 ページくらいまででしかない。カス・ダマトが亡くなり世界チャンピオンになったそのあたりからは、セックスとアルコールと浪費と暴力の話がほとんどになる。さらに、刑務所を出てからはそこにマリファナとコカインが加わる。

あれほどのボクサーがどうしてそんなことになってしまったのか。あまりにも残念だ。なんてことはこの本を読んでいるとほとんど考えない。次のような文章を読むと、惜しむというような感情は肩すかしを食ってしまう。

 だから歩行トレーニングにマリファナとアルコールを組み込んだ。ハイな状態で四十度近い暑さの中を歩いていると、躁鬱病的な性質が顕著になる。酒とマリファナと暑さは相性がよくない。 (…) 一人、サインをもらいに寄ってきたやつがいたが、ボカッとぶん殴ってやった。( 194 頁)

無茶苦茶やがな。こんな話が他にもたんまりと出てくる。ちょっと道を踏み外したとかそういう問題ではないんだろう。それどころか、マイク・タイソンという人格がマイク・タイソンという人生の道のド真ん中を歩いた結果が彼の今までの人生だったのではないのか。そういうことを言うならもちろん誰の人生だってそうなんだろうけれども、それでもやっぱり彼ほど真っ向から堕ち切ってしかも立ち直りつつある男なんてなかなかいないだろう。私にとっては未だにヒーローだ。

『大岡昇平全集 9 』

大岡昇平全集  9 『大岡昇平全集 9 』(筑摩書房)、読了。

『レイテ戦記』の上巻。戦略面から個別の戦闘にいたるまで細密に描かれている。腹の底に重いものを入れられたような感覚のなかで読んでいた。

 敵が上陸を始めた時、初年兵たちは、不意に銃を捨てろと命令されて驚いた。帯剣もはずし、ガソリンを詰めたビール瓶(ずんぐりした形の四分の一リットル瓶である)を一つ右手に持ったままの軽装で、戦車に肉薄攻撃せよというのである。 (…) ( 86 頁)

この装備(とすらいえないものだが)で戦車にむかっていくというは、その兵士にとって正真正銘の「決死」の行動のはずだ。徴兵された身でありながらそんな「決死」の行動をとった兵士が、たくさん出てくる。卑怯な行動もある。そして、受け手によってそのどちらに評価するかわかれるような行動も。

白旗を掲げておいて近寄ってきたアメリカ兵を射つという行動を、太平洋戦線の日本兵はしばしばおこなったらしい。

  (…) しかし白旗は戦闘放棄の意思表示であり、これは戦争以前の問題である。この稜線を守っていたのは、主として病兵より成るタクロバン支隊であった。こうでもしなければ反撃の機会が得られない状態に追いつめられた病兵の心事を想えば胸がつまる。射ったところでどうせ生きる見込みはない。殺されるまでも一矢を報いようとする闘志は尊重すべきである。しかしどんな事態になっても、人間にはしてはならないことがなければならない。( 123 頁)

重い気持ちで今もいろいろと考えている。

『神聖喜劇 第三巻

『神聖喜劇 第三巻』大西巨人(光文社)、読了。

一般社会と異なることのない重層的な差別が、軍隊においても隠然として存在している。

『フランス史 ――― I 中世 (上)』 ミシュレ

フランス史 ―――  I  中世 (上)『フランス史 ――― I 中世 (上)ミシュレ 著 立川孝一・真野倫平 責任編集(藤原書店)、読了。

抄訳なのは残念なのだけれども、それもまた歴史という気にさせてくれる本だった。

 つまり、時の進展の中で、歴史家によって歴史が作られる以上に、歴史が歴史家を作るということなのである。私の本が私を作った。私こそ歴史が作り上げたものだった。 (…) ( 184 頁)

新装オールカラービジュアル版 ヨーガ 本質と実践』 ルーシー・リデル

新装オールカラービジュアル版 ヨーガ 本質と実践新装オールカラービジュアル版 ヨーガ 本質と実践』ルーシー・リデル 著 竹田悦子 訳(産調出版)、読了。

DS のヨガをやっていてヨガに興味を持ったので買った。シヴァナンダ・ヨーガという流派のようだ。

それから 2 年弱、 1 時間ほどのメニューを週 5 くらいのペースでやっている。 1 週間ほどで頭立ちができるようになり、固い身体にもすこしずつ柔軟性が出てきた。妻と子どもにはキモがられている。

『マルクス = エンゲルス全集 第 8 巻』

マルクス = エンゲルス全集 第 8 巻『マルクス = エンゲルス全集 第 8 巻』大内兵衛・細川嘉六 監訳(大月書店)、読了。

(…) 国民の総意は、普通選挙権をつうじて語るたびに、大衆の利益の年来の敵たちのうちに自分の適切な表現を求め、ついには一冒険者の我意をそうした表現と見なすにいたる。( 130 頁)

現在の日本の政治情況について考えるうえで『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』はたいそう有益だった。代表制の問題についてのマルクスの構造的な把握力のおかげで、目に見える表層のなかで自分が注意しておくべきものを再確認できた。また、エンゲルスの揶揄・罵倒の才能を知ったのも、予期せぬ楽しみだった。

(…) かんじんなことは、 (…) ルーゲがなににでも効くあの不思議な文体ソースを任意のテーマにかけているということである。ルーゲは好んでこの日常の文体的下痢を「通じをつける美しい形態」と名づけ、そこに「芸術家」〔Artist〕と自称する十分な根拠を認めたのである。( 269 頁)

『カント全集 6 』

カント全集 6 『カント全集 6 』有福孝岳 久呉高之 訳(岩波書店)、読了。

『純粋理性批判』の下巻と『プロレゴーメナ』が収録された巻。『プロレゴーメナ』は私にとってはじめての通読だった。『プロレゴーメナ』は『純粋理性批判』を読んだことがなくこれからも読むつもりがない人間には害になる書物だ。『純粋理性批判』を読んだ私にとっても益はほとんどなかった。

ところで、トレーダーが「上達」するために必要なのは、次の引用での語法だと、「開発」ではなく「訓練」だろう。

  (…) ある種の規則から逸脱する不断の性癖がそれによって制限され最後には根絶やしにされる強制訓練と呼ばれる。訓練は開発とは異なっている。開発は、訓練とは反対に、他のすでに存在する技量を廃棄することもなく、単に技量を付与するはずである。 (…) ( 11 頁)

『君主論』 マキアヴェッリ

君主論『君主論』マキアヴェッリ 著 河島英昭 訳(岩波文庫)、読了。

  (…) このほかに、さらに大きな事業に取りかかるため、一貫して宗教を利用し、敬虔な残虐行為を実践して、自分の王国のなかからマッラーニたちを追放し、かつ財産を奪った。これ以上に悲惨で、稀有な例はない。 (…) ( 164 頁)

スペイン王フェルディナンドについてのこの描写には、マキャベリの考えかたが現れているようで、私はしびれさせられた。訳文もまた素晴らしい。

と感じていたのだけれども、リンクを貼るために amazon でこの本のページを見てみたら、非難轟轟だった。マキャベリの思考の跡をたどれる読みやすい翻訳だという門外漢としての感想は変わらないのだが、つぎに『君主論』を読むときには別訳を選んでみるつもりではある。

『スタンフォードの自分を変える教室』 ケリー・マクゴニガル

スタンフォードの自分を変える教室『スタンフォードの自分を変える教室』ケリー・マクゴニガル 著 神崎朗子 訳(早川書房)、読了。

The Willpower Instinct という原題どおり、意志力についての本だ。

意志力は、トレーダーとしての成績に、最終的な影響をおよぼす。どんなにすぐれたシステムを使っていても、チャートリーディングにおいてどれだけ上達していても、意志力に問題を抱えていては成功はおぼつかない。

といっても、「意志の力」で欲求や欲望や衝動ををねじ伏せようとするような姿勢は、かえって逆効果だ。意志の力というのは、そんなに強いものではない。たとえば、この本のなかで紹介されている研究結果につぎのようなものがある。

2 つのおやつをすぐにもらうのと、 2 分待ってから 6 つのおやつをもらうのとではどちらがいいか選ばせることによって、人間とチンパンジーの自制心を比較するという実験だ。

 チンパンジーも人間も、待つ必要がなければ 2 つより 6 つもらうほうがいいに決まっていますが、待たなければならない場合には、チンパンジーと人間ではその選択に大きなちがいが表れました。チンパンジーはおやつをよけいにもらおうとして、なんと 72 パーセントが待ちました。いっぽう、ハーバード大学とマックス・プランク研究所の学生は、 19 パーセントしか待てなかったのです。( 234 頁)

あなたのも私のも、人間の自制心なんてこんなものだ。トレードになんてまったく向いていない。

そんな欠陥だらけの意志力しか持っていないからこそ、どんな場面で衝動に負けやすいのかを知り、あらかじめ対策をたてておかなければならない。そんな認識と対策のためのヒントをたくさん与えてくれる本だ。「欲求の波を乗り越える」というテクニックは、トレードでも役に立つだろう。

『キルケゴール著作集 18 』

キルケゴール著作集 18 『キルケゴール著作集 18 』田淵義三郎・久山康 訳(白水社)、読了。

(…) 誤解は用心しなければならない、という意味は誤解をすっかり防ぎ止めよういう考えに気をつけなければいけないということなのだ。 (…) どうすれば誤解が防げるかということにのみ汲汲として他を顧みる暇のない人間がかりにあったとする。――多分彼は最もひどく誤解されるのが落ちであろう。( 151 頁)

「わが著作活動の視点」は、キルケゴールの著作をあるていど以上に読んだあとで繙くほうがよい。種明かしを先に知ってしまうのはもったいない。キルケゴールほどに同時性を要求する著作家はめずらしいのだから。

『成功する子 失敗する子 何が「その後の人生」を決めるのか』 ポール・タフ

成功する子 失敗する子 何が「その後の人生」を決めるのか『成功する子 失敗する子 何が「その後の人生」を決めるのかポール・タフ 著 高山真由美 訳(英治出版)、読了。

貧困層の子供の学力向上に取り組む人たち――教育者や心理学者や小児科医や経済学者など――と、彼らの助けを受けつつ劣悪な環境で前向きに努力している貧困層の子供、彼らへの取材を通じて「成功」するための資質にたいして考察した本だ。

「知能」ではなく非認知的な要素――たとえば好奇心、自制心、社会性といったもの――こそが成功するために重要なのだという近年の主流意見と、著者も見解を同じくしている。たぶんそうなのだろうと私も考える。ではどうすればそういう能力を伸ばしていけるのか。神経科学や心理学の研究結果や先端的な教育施設の活動を紹介しながら、著者はその答えを探っていく。わが子を「成功」させるという観点からではなく、「貧困」層の教育向上という観点から著者は問題をみていて、さまざま点で私は啓発された。

ところで、トレーダーという自分自身の職業にかかわる面でも、ふだんの自分の考えの正しさをこの本で確認することができて、私は意を強くした。

  (…) なぜルールが機能するかについては神経生物学上の理由がある。ケスラーによれば、ルールをつくると前頭前皮質を味方につけることができる。つまり、本能に突き動かされて反射的に働く脳の部位に対抗できる。ルールは意志力とおなじものではない、とケスラーは指摘する。ルールはメタ認知を利用した意志力の代用品である。 (…) ルールはやがて欲求とおなじくらい反射的に働くようになる。( 151 頁)

「精神力で」とか「意志の力で」とか吐かしている阿呆たちは、勝てるトレーダーには永遠になれない。

私は小学生の息子の成績はほとんど気にしないが、息子が習慣を力にすることに関してはかなり気にしている。気にしているだけで、じっさいの教育は妻にまかせっぱなしなのだけれども。「親があっても子は育つ。」

『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』 増田俊也

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也(新潮社)、読了。

 乱暴であるのを承知でいえば、木村は力道山を殺すべきではなかったのか。たとえどんな犠牲を払ってでも。( 26 頁)

木村政彦という柔道家の無双の強さと人間的な魅力、そして後半生の苦しみが痛いほどに伝わってくる本だった。終盤は、胸が張り裂けそうな思いとともに読みすすんだ。やるせない。

 戦中は不敗の柔道王として、やはり連勝を重ねていた双葉山とともに皇軍進撃の宣揚に利用され、また師匠牛島辰熊の東条英機暗殺に使われそうになるなど、常に思想を持った側に利用されてきた木村は、戦争が終わったこのときになっても “時差” をもって戦争の続くブラジルで利用されることになるのだ。もっとも、本人は思想もなく生きているので、利用されていることには気づいていない。( 345 頁)

ところで、『空手バカ一代』や『男の星座』などでしめされる梶原一騎のあの虚を実と混ぜ合わせて差し出す語りについて、この本で著者はやや否定的に言及している。しかし、この本の語りもまた、ところどころで梶原のそれと似ていってしまう。虚をなくし実で満たすだけでは梶原の語り方は超えられないのではないか。「真実」の分量がちがうだけで、真実への態度はおなじだから。というようなことも考えてしまった。

『カント全集 5 』

カント全集 5 『カント全集 5 』有福孝岳 訳(岩波書店)、読了。

 それゆえ、私は次のように言う。全体が経験的直観において与えられていた場合には、その内的諸制約の系列における背進は無限に進む、と。しかし、絶対的総体性への背進がそこから最初に進行すべき系列の一項のみが与えられている場合には、逆進は無規定的仕方において (in indefinitum) のみ行われる。 (…) ( 216 頁)

「無限背進 (regressus in infinitum) 」と「不定背進 (regressus in indefinitum) 」。私たちには、世界の全体が経験的に与えられることは、けっしてない。だから私たちは、制約されたものとしての各現象からその制約である別の現象へと背進し、さらにその現象の制約である別の現象へと…というように、無規定的に背進しなければならない。

 なぜなら、生起するものはすべて原因をもたねばならない、したがってそれ自身生起したあるいは生成した原因の原因性もまた再び原因をもたねばならない。 (…) ( 217 頁)

結果から原因へ、さらにその原因へ…、という無規定的な背進が私たちに課される。現象における諸原因のもとには、一つの系列を端的にそして自ら始めることも、そのように行う何ものかを想定することも、私たちには許されていない。これは理論的かつ倫理的な態度だ。

 この悟性の法則から逸脱すること、あるいは何らかの現象をそこから除外することは、いかなる口実のもとにおいても許されない。 (…)
  (…) ( 240 頁)

しかし、生起するすべてが制約されているのだとしたら、自由と責任はどこにその場所を見出すのか。この重要な問いにもまた、カントは理論的・倫理的に答える。私たちの経験する諸現象はあくまで私たちの感官に与えられたものなのであり、物自体ではない。超越論的感性論の結論から、時間と空間は私たちの感性の形式的制約なのであり、物自体のそれではない。したがって、物自体は時間的規定の法則には従属しない。

  (…) したがって、理性は諸現象を諸自然法則に従って必然的にする感性的諸制約の系列にはまったく属さないということである。理性は、すべての時間状態において人間のすべての行為に現前しており、同一であるが、しかしそれ自身は時間のうちにはなく、また理性がいわば以前にはそこになかったような新しい状態に陥るということもない。理性は新しい状態に関して規定するものではあるが、規定されうるものではない (…) ( 250 頁)

理性のこのような解明によってカントは自由を救ったが、しかしこれは、あくまでも超越論的にであって超越的にではない。超越的に自由を取り扱うことも、カントは固く禁じている。まったくもってすごい書物だ。最上至極宇宙第一書。

『地中海  IV  出来事, 政治, 人間 1 』 フェルナン・ブローデル

地中海  IV  出来事, 政治, 人間 1 『地中海  IV  出来事, 政治, 人間 1 フェルナン・ブローデル 著 浜名優美 訳(藤原書店)、読了。

 出来事を旗印としてこの第III部を出版するのを私は大いにためらった。 (…) ( 11 頁)

トルコによるマルタ島攻撃にレパントの海戦といった「歴史的な」出来事やフェリーペ二世やドン・ファン・デ・アウストリアといった「歴史的な」人物がこの巻では語られていく。

といっても、歴史の進行の中心となるものとして、出来事や人物が語られるのではない。歴史のある瞬間を照明するのに必要な光源として、ブローデルはそれらを語ろうとしているのだ。

『神聖喜劇 第二巻』 大西巨人

『神聖喜劇 第二巻』大西巨人(光文社)、読了。

  (…) 軍国支配勢力・その同調追随者たちの主観とこの戦争現実との間には残忍な調和があり、ある日本人参戦者たちの「誠実純粋」な主観とこの戦争現実との間には無残な分裂がある。軍国支配勢力・その同調追随者たちは、その残忍な調和において、またある種の「誠実純粋」な日本人参戦者たちは、その無残な分裂において、いずれもひとしく結局この「道義および公正の単純な最高の法則」の「試金」に耐え得ず、ひいて両者の戦死は、いずれも共に果ては(自業自得の、もしくは非業非命の)犬死にでしかあり得ない。( 150 頁)

前途に現われるべき禍禍しい何物かの予感に満ちたこの小説で、大声で笑ってしまうような場面が不意に出現する。それはやはり底に禍禍しさをともなっていて、途方に暮れて感動してしまうような笑いだ。

『神聖喜劇 第一巻』 大西巨人

『神聖喜劇 第一巻』大西巨人(光文社)、読了。

今こそこの本を読む時機だろうと考えて、読みなおし始めた。といっても、著者の死がきっかけとなったのではない。読みなおしはじめたのは著者の死の前だった。

明晰であろうとする意志に支えられた大西巨人の文章は、しかし不思議なユーモアもそこかしこに感じられて、私のとても好きな文章だ。

ウィザードブックシリーズ 170 規律とトレンドフォロー売買法 ――上げ相場でも下げ相場でも利益を出す方法』 マイケル・ W ・コペル

ウィザードブックシリーズ 170  規律とトレンドフォロー売買法 ――上げ相場でも下げ相場でも利益を出す方法ウィザードブックシリーズ 170 規律とトレンドフォロー売買法 ――上げ相場でも下げ相場でも利益を出す方法マイケル・ W ・コペル 著 長尾慎太郎 監修 山口雅裕 訳(パンローリング)、読了。

 トレンドフォロワーのチャーリー・ライトは言う。「長い時間をかけて分かったことは、相場の動く理由も動く方向も本当はだれも理解していないということだ。あなたであれ、ほかのだれであれ、相場の動きが分かると思うのは幻想だ。 (…) 相場がいつ動くかは予測できないという最終結論に達したときに、トレーディングで成功し始めた。私の欲求不満は劇的に少なくなった。相場の予測も理解もできないからといって、何の問題もないと分かり、私の心は穏やかになった」( 377 頁)

上の言葉に、私は深く同意する。ところどころに素晴らしい言葉が出てくる本なのだが、やや散漫でかなり冗長なところを惜しく思った。